Judd Tour: テキサスドライブ編/The Chinati Foundation (3)

翌朝、ジーンズ姿の地元の人が集まるカフェでナチョスを朝食にとる。どこから来たのかと店のおばさんに尋ねられる。ボストンから来たと応えるとドーナツをおまけしてもらう。薄味のコーヒーを飲み干し、Chinati Foundationへ。

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事務所は以前のように無造作にアートの本がジャッドのデザインした机に積まれている。以前はなかったChinatiロゴ入りTシャツや帽子が売られている。ジャッドが忌み嫌った美術館みたいだと友人と笑う。しかし居候の猫たちがそこを昼寝のベッドに使っているせいか、今ひとつ売り上げはさえないみたいだ。
Foundationのスタッフに案内してもらう。ここでジャッドの主要な作品として2つの大きな作品がある。一つは2棟の旧大砲格納庫に置かれる100ピースのアルミの作品。もう一つは15ピースのコンクリートボックスの作品で、これは1kmにわたって旧滑走路に沿って設置され、ジャッドの最大の作品となっている。
それらを観て歩き回る体験は、形の意味や内容よりもむしろ、そうした形を認識する知覚の意識そのものが丸裸にされて浮上するかのような強い感覚を呼び起こす。オブジェクトが周囲の空間を強く認識しトレースするための基準線となっているかのように。それは地平線が続くこの場所の「状況」との強い対比の中でいっそう強く力を与えられているかのようだった。
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草原の波間に浮かぶかのように見えるコンクリート群は、どのユニットも同じ外形の2.5×2.5×5mで、同じ形のヴォリュームが開たり閉じたり、様々なヴァリエーションがコマ送りに展開される。そうしたリズムを持つ組み合わせが、シンプルなヴァリエ−ションのなかにさまざまな視覚的効果をもたらし、空間を巧みにコントロールしている。>>写真
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100 untitled works in mill (旧大砲格納庫)はアルマイト処理したアルミの厚板を組み合わせてデザインのすべて異なる100ピースの作品のシェルターとして使われている。ここでは建物の側壁をガラスの大開口に改造しアルミの十字形のサッシが連続する。この窓の割付に合わせて絶妙なスケール感とプロポーションをもつアルミのオブジェクトがハードなコンクリートの床に並列される。自然光を受けてあるものは燦然と輝き、あるものは風景に完全に融け合い反射し、またあるものは鏡のよう浮かび上がる。そして夕刻、黄金色の陽の光を受けると、作品全体が炎のように輝く。>>写真

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アリーナと呼ばる建物は、かつては運動場、馬術場として使われ、ジャッドは床下に基礎をなしていたコンクリートのストライプをそのまま活かし、小石を敷き詰め、自身のデザインした家具をアレンジして大きなダイニングホールにしている。既存の空間に挿入したかのような白い箱状の空間と、その周囲に残されて露出した既存の構造体との対比がパーフェクトな均衡を保っている。壁はそうしたバランスを損ねないよう、十字型正方形の回転ドアが注意深い位置に取り付けられ、他の窓はその痕跡として窪みだけを残して壁が間延びしないようにしている。>>写真
ここにはジャッドの作品だけでなく、カール・アンドレやイリヤ・カバコフなどの作家の作品が旧兵舎の中にインスタレーションされている。なかでも、ダン・フレヴィンの蛍光灯を使った光のインスタレーションは、6つの建物を使った大規模な展示で、光と空間のリズムが美しい。展示室の窓からは外部の自然光が入り込み、時間の経過とともに蛍光灯の光の強さも微妙に変化していく様子に関心をもった。
クライマックスはジャッドのアトリエ兼自邸のマンサーナ・デ・チナティへ。マンサーナとは地元の言葉で正方形という意味で、具体的にはこの敷地の形のことをいう。Marfaの中心街の道路に囲まれた1ブロックを占める大きな敷地で、かつては隣接する鉄道から降ろされた資材を置くヤードと軍の管理事務所として使われていた。彼は建物の周囲を注意深く伝統的な日干しレンガで囲んでコートヤードハウスとし、旧格納庫にはジャッドの作品が注意深く置かれ、さらに彼と彼の家族のための生活空間が建物内外に広々と結ばれている。
ジャッドはアートをよりよく理解するためには、アートとともに生活しなければいけないと考えていた。すなわちアートと生活を分けるのではなく統合したいと考えた。ここにはアートを設置した空間には、必ずベッドやベンチ、テーブルがあり、日常生活にアートが組み込まれている。家具は自身がデザインしたものもあればアンティークの物もあり、それらが作品を観るのに最高の位置に置かれている。彼の図書室にはおそらく数千冊以上におよぶ本が本棚に並び、世界中の美術や建築への並々ならぬ知識が伺える。建築の蔵書としては日本を含めた各国の伝統建築の他に近代建築の蔵書がスペースを占める。そして机や棚の上には大小さまざまな世界各地からジャッドが集めた伝統工芸品や貝殻といった自然の造形が置かる。こうした生活からは彼がミニマルな形態にかたよった人物では全くないことは明らかで、彼の作品とその空間とは、非常に広範な体験と知識から集約された小宇宙だったといえるのかもしれない。
実は彼はここにさらに増築を考えていた。中庭にはプールとアトリエが計画されていたが、急逝したことで未完のままの姿をとどめている。しかしそれがかえってこの建物の生命感をとどめている。薄明るい書斎には彼の椅子がたった一つの窓ごしにジャッドの愛した中庭の木をひっそりと眺めている。
(残念ながらここは撮影禁止とのことでした。)

Judd Tour: テキサスドライブ編/The Chinati Foundation (2)

9年ぶりのMarfa。
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9年前は日頃からともに毎日のように居酒屋議論を重ねさせていただいた建築・美術評論家の大島哲蔵さんと思いつきで購入した航空券でロスまで行き、そこからとにかく車でアースワークを訪ね回る旅のハイライトがここMarfaだった。バーネット・ニューマンの絵画のように、延々と続く一本道を進み、ようやくたどり着いた。周りを荒野に囲まれたそこは、カウボーイハットをかぶった色黒のおじちゃんたちがいつもの仲間と酒を交わしながらスペイン語を話す素朴な地元の人たちの街だった。ただこの街はどこかそれまで訪ねた西部の歴史感ただよう街とは違い、どこか異彩を放っていた。
基地の街としてにぎわったこの街も、やがて軍が撤退するとこの街は静かな眠りに入っていく。その名残のように、装飾のないスパルタンな形の建物が建ち並ぶ。ミニマリズムとミリタリズムをゴロあわせしてミリタリー建築との類似さを思わず漏らすと、大島さんがそれをえらく気に入ったので、うっかり調子に乗ってジャッドのパートナーであり、財団のディレクターでもあるMarianne Stockebrandさんに両者の関係についてしつこく質問したことを思い出す。その後廃墟になっていく建物をDIAが購入し始めるが、経済的理由によりプロジェクトを中止。はしごを取られたジャッドは、その後紆余屈折を経て自力でこれを引き継いでいく。
かつてジャッドの作品はこの寂れた街で孤高のような強い存在感を放っていた。自らの評価を安易に社会に求めず、自身を強く確信し肯定しなければたどり着けない極致に自らをおいているがゆえに。彼自身の目でいくつかの建物を買い取り、歴史や場所の特徴を活かしアートのための空間にレストアしていく。そして廃墟と隣り合わせに野性的な空間が現れる。その緊張感にスリリングな強い魅力を感じ取り、いつかもう一度訪ねてみたいと思った。

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しかしその数年の間に、街の様子が少し変わっていることに驚いた。
たしかに相変わらず、地元の人の車であろう、ムスタングやマーキュリーといった懐かしい車がタイムスリップしたかのように、おそろしくゆっくりしたスピードで行き交う。
しかし一方で、かつての古ぼけた空きビルにはアートと建築専門の本屋やカフェが並び、都会顔負けの味とインテリアのレストランが出来ている。かつてここで夜遅く食事とお酒を求めるには、たった一軒の古びたバーしかなかった。キッチンにぽつんと立っている初老のおばさんに僕らがジャッドのことをどう思うか尋ねると、彼女は静かに応えた。
「彼はニューヨークから来た人だからね。」今はそのおばさんも亡くなり、JOEという男に引き継がれていた。
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その発展ぶりは、Chinatiに来た観光客をあてがった消費カルチャーの浸透とも 言えるかもしれない。しかし、それにしても他のアメリカの多くのダウンタウンがゴースト化し、かわりに郊外のショッピングモールのような生活実感のない偽造の街が増殖していることなどに比べて、Marfaのように生活の中にアートが同居して既存の空間の魅力を引き出し、街に人が集まるような事例は、今日のアメリカではとてもレアなケースだろう。ジャッドがそんなことを決して意図しなかったとしても。
だがそのせいだろう、街の中にあるいくつかの彼の手がけた空間は代償として、以前のような孤高の野性的な生命力を失っていく。今後、周りの変貌にのみこまれて、結局、ツーリズムの陳列品になるのか、それとも独自の強度を保ちつづけるのか・・・ 今の時点では行く先をもうすこし見守る必要があるだろう。

Judd Tour: テキサスドライブ編/The Chinati Foundation (1)

汗一つかかなかった冷夏のボストンを過ごしたアジア系友人3人と、大学開講前に暑い夏を求めてどこか行こうという話になった。
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向かう先はテキサス。車を借りて荒野を走り、とにかくどこかそのあたりでテキーラを飲もうという、とても安直な計画が進んでいった。まずDallas空港から車でメキシコ国境近くの街、MarfaのChinati Foundaitonに向かい、その後、建築学生の「お約束」として、建築をみるべくSan Antonioにあるリカルド・レゴレッタの市立図書館、そしてDallas=Fort Worthのキンベル美術館と近代美術館、レンゾ・ピアノのNasher Sculpture Centerなどに寄ろう、という話でまとまる。
Chinati foundationとは美術家Donald Judd(1928-1994)が開設した現代アートの財団で、もともとメキシコとの国境をにらむアメリカ軍の前線基地だった。その建物群を彼が1979年から購入し改修を手がけ、現代美術のための前線基地に換えている。広大な敷地にはジャッド自身の作品のほかにも彼の友人の著名美術家が寄贈した作品が収蔵されて、現在も拡張を続けている。さらに彼の住居兼アトリエも生前のままの状態で残され、訪ねることが出来る。
ダラス空港からレンタカーに乗り、まずは一路Marfaまで合計10時間のドライブを敢行。早くも我々の楽天的な予想を遙かに上回る時間のドライブになった。ハイウェイを降りて人気のない一本道をひた走る。ヘッドライト以外に頼るものがない路上で突然、日本から携帯電話に2件も電話を受け(うち一つは銀行)、とても不思議な距離感を味わう。
しかしやがてそれも音信不通になる。電波の及ばない境界線を越えたのだろう。人気のない街に到着したのは深夜1時。あてにしていた安宿はとうの昔に倒産し、街外れの荒野に面したモーテルRita Inn(一部屋:2Wで約$60)でようやくベッドにありつく。 ・・・とは言っても、信号はたった一つしかない街から車で5分もすればそこは人のいない場所になってしまう。

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ここで少しジャッドのこの場所での活動する経緯を思い起こしてみる。
ジャッドは1960年代からニューヨークでアーティストとしてプライマリーな形態のオブジェを発表し続けていた。作品が3次元だということは現実の空間を占め、つまり定義されかつオープンな空間を占めるということであり、オブジェそのものだけでなく、作品を取り巻く空間との関係が非常に作品の質を作用する。しかし、多くのインスタレーションや作品の取り扱い方が作家の意図にそぐわず不適切で、そのため彼は作品を作家の意図に忠実に見せたいと考えた。彼は次のように書いている。
「どこかに現代美術の一部は芸術とその文脈の意図するとおりに存在すべきである。ちょうどプラチナ・イリジウム製のメートル原器が巻き尺での測定の誤差を補正するように、この時代と場所の芸術のための厳格な基準がいる。」

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そこで彼は作品をその周囲の空間と無関係に白い箱形空間に陳列されることに異をとなえ、そしてアートと生活と仕事が現実の空間の中で相互に働きかける場を自分で作るようになった。
それは普通の美術館ではほとんど運営上不可能な、少数の作家による大きな作品がそれぞれのための独自の場を与えられることだった。しかもそれは、恒久的にインスタレーションされる。
こうした恒久展示の考えは、たとえば磯崎新氏が93年頃日本の岡山県の内陸部に位置する奈義町に恒久展示を前提にした奈義美術館の構想にも影響を与えているだろう。(そういえば、この地にも自衛隊基地があるのはそうした発想の引き金になったのかもしれない。)
そしてその後、多くの美術館やギャラリーが彼のアプローチに影響されることになる。例えばニューヨークにあるDIAアート・センターはチェルシー地区の古い工場を改修している。そしてロンドンのテイト・ギャラリーはかつての発電所を美術館に改修している。美術家にとって何故新築の美術館よりも古い建物の方がいいのか議論すると複雑になってしまうが、現代の建築に対する不信感があるという。少なくとも多くのアーティストはそう考えている。テイト・ギャラリーが拡張計画を決める際にアーティストに、どんなタイプのスペースに自分の作品を展示して欲しいと思うか意見を聞いたところ、大半のアーティストがこういったタイプの既存の建物がいいと答えたという。