miyajima/weblog

2005-01-27

Philip Johnson 逝く/ガラスの棺

フィリップ・ジョンソンが自宅のGlass House で1月25日、亡くなった。98歳だった。

Glass House
広々とした庭園を映しこむガラスの住宅は、一転してガラスの棺となった。想像すると、とても美しい。
主が亡くなったことで初めてGlass House は建築になりえたのかもしれない。ロースが究極に建築とは墓であると断じたように。

「われわれは森の中で、長さ6尺巾3尺のピラミッド状にシャベル で盛り上げられた土を見れば、緊張し、厳粛な気持ちになり何か訴えるものを感 ずる。ここに何者かが葬られていると。これが建築なのである。」

NYタイムズには大物評論家ポール・ゴールドバーガーが追悼文をアップしている。彼が指摘するように、アメリカ建築の頭目とされた彼は、自身の建築作品よりも、建築シーンを牽引するパトロンでありプロモーターとして知られた。

Philip Johnson
当初ギリシャ美術を学ぶためにハーバード(GSDでない)に入学した彼だが、やがて建築に興味を覚え、1927年に卒業後ヨーロッパに旅しモダニズム建築の台頭を目撃する。1932年にはMOMAでH.R.ヒッチコックとともに"The International Style"を出版。当時アメリカでは無名のミース、グロピウス、コルビュジェを紹介する。1930年にはMOMAに建築部門を創設。以後、MOMAには建築そしてプロダクトデザインがコレクションされる。以後MOMAは前衛建築のスポンサーとして彼の拠点となり、ポストモダン、デコンストラクションを導いていく。

1930年代にはヒトラーの掲げるナチズムに傾倒した彼は当地ドイツのミースをアメリカにいち早く紹介し、いわゆるユニバーサルスペースを導いたのも彼だった。しかし開戦とともにナチズムから「改宗」し、NYに無償でユダヤ人のためにシナゴークをつくると公表してその贖いをする。身替りのしたたかさはここでも発揮され、彼のデザインそのものよりも彼自身の存在感を際立たせるエピソードのひとつだといえる。

ライター、美術史家そしてMOMA のキュレーターとしてキャリアを始めた彼が、ハーバードGSDで建築を学ぶために入学したのは35歳になってからだった。ここで彼は自身のモダニズム建築に彼自らの歴史観を接続し、モダニズムに歴史的正当性を与えていったといえる。歴史から断絶したはずのモダニズムは様式として建築史に位置づけられていく。

彼の大物ぶりはハーバードでも発揮され、大学に通うために近隣にミース風の自宅を建てている(9 Ash Street in Cambridge)。1946年にMOMAに復職すると同時に建築家としてのキャリアをスタートし、49年には自邸であるGlass Houseを完成させる。シュルツによれば模倣されたミースはおかんむりで、本家ミースとは似ても似つかぬ代物だったといわれる。それでもなおミースのシーグラムビルやファンズワース邸よりも早くガラスの箱を先取りし実現した先見の明により、Modern Architectureの歴史的名作として位置づけられる。ミースが設計したMOMAの理事レザー氏の住宅案(1938−43)はGlass Houseを先行し、47年のミース回顧展でも発表されているが実現されていない。以後そこでは毎週夜、建築界の首領たちが集い、今後何をプロモートすべきか「投資先」を練っていたという噂もある。

Warhol and Johnson at the Glass House

以後、広大な自邸の敷地は彼の遍歴にしたがってさまざまなスタイルの建物がつくられていくが、同時にモダンアートの著名なコレクターとしても知られる彼のコレクションを展示していく。その意味で、彼にとって建築とアートは抜き差しならぬ三角関係にあった。さまざまなアーティストが彼を訪ね、ウォーホールもまたその一人だった。ドナルド・ジャッドにとって彼は重要なコレクターの一人でもあったがそれにも動じずジョンソンのポストモダンスタイルを糾弾したのもジャッドだった。かくしてそこはMOMAの「荘園」として建築、アートを収蔵するプライベートミュージアムの姿を現していく。(もちろん現在は非公開だが、今後どうなるのか。)

MOMAの増築計画を2度、さらに中庭のデザインを引き受け、美術館の建築家として知られた彼も78年にはMOMAの増築デザインをシーザー・ペリに奪われ、深く傷心したといわれる。かくしてMOMAとの関係が冷戦化したが、まもなく和解し84年にはJohnson Galleryと銘銘した建築+プロダクションのギャラリーを館内に開設する。90歳の誕生日には彼にちなんだ展示会が開かれ、彼の寄贈コレクションが展示された。最近では谷口氏がMOMAの大規模な増改築をすることが決まり、彼は谷口氏としばしば面会して、新旧の融合について談話したという。モダニズムも彼もすでに「歴史」となっていたのである。また同時に彼の死は、かのテキサスの「自由の牧童」とは裏腹に「強いアメリカ」もまたゆっくりと歴史の中の挿話となっていく葬送曲なのかもしれない。

Monuments differ in different periods. Each age has its own. Maybe, just maybe, we shall at last come to care for the most important, most challenging, surely the most satisfying of all architectural creations: building cities for people to live in." -----—Philip Johnson
posted at 02:02:38 on 2005-01-27 by miya

Comments

中村謙太郎 wrote:

フィリップさん、大往生ですね。
十数年前に講演を聞きに行ったとき、フレッシュな感性に驚かされたのを今も鮮明に覚えています。
合掌。
2005-01-28 07:57:03

designfor wrote:

はじめまして、このエントリーを最後まで読ませていただきました。
フィリップさんのことを再認識できました。ありがとうございます。
2005-01-30 05:06:49

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