Fluid Floor / Boston ICA

ICA/ Boston
夕方、一本の電話。待ち人が来た。
ポルトガルのAires Mateus事務所にインターンしているyottakさんが冬休みを利用してNYを経由しHarvardまでやってきた。オランダのWiel Aretsに勤めるUme氏に彼を紹介して頂いて3ヶ月ほどで初面会になった。
ひとまず、ボストン上陸を祝って地ビールで乾杯。アメフトのTV中継で熱狂する客に囲まれながら、歓談。Aires Mateusはポルトガルで最近頭角を現してきた建築家兄弟で、この秋学期、GSDでスタジオ講師(Visiting Professor)をしていたこともあり、彼らの仕事の進め方やポルトガルの建築家の事情、それからポルトガルの生活などにとめどなく話が広がり、あれこれと教えてもらう。
そして翌日の今日、彼のはからいでボストン・ベイに現在建設中のICAアート・ギャラリー(上写真:黄色、ピンクの壁は断熱材等の下地)を訪ねる。設計はNYの建築家Diller & Scofidio。彼らは今までアート・インスタレーションやインテリア、岐阜の集合住宅(by エリサベス)、仮設パヴィリオンを手がけてきたが、本国アメリカでパーマネントな建築としては、この建物が彼らの第一弾になるだろう。


From the edge of the top
この敷地は周辺も含めてボストンの新しい高級ウォータフロントとして大規模な再開発が進められている。建築界では有名なPritzker PrizeのスポンサーであるPritzker familyも出資し、集合住宅、公園、高級ホテル、そしてICAのような文化施設が顔を連ねることになる。ボストンの客船ターミナルに対面し、ボストン- NYを結ぶサウス・ステーションからも徒歩で10分程度。国際空港にも車でわずか20分圏内。交通アクセスは至便きわまりない。
このICAギャラリーはそうした位置づけのなかで、建物のプログラムが決定されている。モダンアートを公開するギャラリー、実験的なパフォーマンスアートや音楽が演出できるホール、電子データ化されたアーカイヴにアクセスするデジタル・メディア・ライブラリーなどがそれにあたり、ガラスの外皮を通してそうした内部と、外部の公園スペースを連続してつなげようという意図がうかがえる。その上で境界面となるガラス面が映像スクリーンとして見立てられ、その透明、半透明のスクリーン上にビジュアルアートの映像が投影され、内/外の間を介在する、ということだろう。

Rear View

今流行の、床スラブが湾曲して壁、天井、屋根へと連続変化していくデザインはそうした外部スペースを地上階から最上階まで内部に切れ目なくつなげたいという、その意思の現れだろう。床スラブは最後に海に大きく突き出した形で締めくくられている。その巻き寿司のような床の構成は、建物の横サイドの外観にはっきりと見て取れる。
しかし内部に実際入ってみると、外観から受けるイメージとは違い、直線直角の床、壁で構成されており、そのような連続感はない。陸側の端部のカーブは、行き止まりの壁面になっている。
むしろ、大階段、そしてホールの吹き抜けを介して立体的にキューブ状の空間が結節されるのは、ほとんど近代建築的といってよく、たとえば安藤忠雄さんのような建築構成に近いように映る(大阪港のサントリー・ミュージアムのような)。つまり、外観と違ってこれは柱と床の格子グリッドで構成された「ドミノ・プラン」の建物である。

Void space and Curtain Wall

ちょっと釈然としない点もいくつかある。ひとつは、海に面したウッドテラスがそのままガラス・カーテンウォールを通して内部まで連続したかたちで設計しているのにも関わらず、ガラス・カーテンウォールがFIXになっていて遮断されている。そのまま内外に出入りできない。
造型と構造の齟齬もちらほら現れている。たとえば、そのカーテンウォールをさえぎるように大きな構造ブレースが立ちはだかっている。上部に大きなボックス上の構造体が載っているので、それを支えるためにはこの程度の構造体が出てくるのはわかるが、それが内部吹き抜けの真正面に位置するのは、どういう意図なのか。
D+Sならではの、ガラスを物質感のない映像スクリーンとして見立てるにしては、このサッシは無骨かも・・・などという話を現場で交わす。

Gallery on the top
Slope / Hall

それでも、少し抑え気味のスペースを抜けて、ボストンの海辺を背景に広がる大階段ホールは悪くない。背景の環境と映像・アートが絡み合い、従来の白い箱型の展示空間とは違う体験をもたらすかもしれない。映像と空間、ヴァーチャルとリアルの相互作用は彼らがずっと取り組んできた主題だったと思う。それを、ここで建築として試すことができるのだ。
そしてさらにインテリア化されたデッキともいえるこの大階段は、<内>と<内>の関係においても、そうした関係を持つのかもしれない。今の段階ではわからなかったが、単に壁で囲まれた単体の’映写室’として独立するのでなく、上下階を切れ目なくむすぶ開放的な場として意図されているのだろうか。たとえばクンスト・ハルの傾斜したホールのように。
ますます複雑に変化しつづける建物内部の空間や機能を結び、全体をまとめる方法としてこうした連続床は使われる。(いまどきのコンペでも現れる「定型」でもある。)それは本来参照できるはずのタイポロジーがすでに失われた場所で、建築の語法をトポロジカルな場や地形に還元したひとつの種、といわれる。
しかしここでは再び建築としてそれを立ち上げたとき、構造的な葛藤が残され、それが各所できしみをあげている。
またこのとき、各エリアに割り当てられるプログラムはどのような関係になるのか。それはこれから工事が進んでいくなかでより具体的な形を現すと思う。
多くの亜流がそうであるように、もしも、実際にはそれはあまり規定のプログラムに破綻を来たすことなく、ただ外部のパターンとしてしか働いておらず、内部の箱を視覚的に繋げて風変わりなパッケージで差別化するだけに終わるなら残念だと思う。(ちょっと言いすぎたかな・・・)
それを検証するために、またいつか訪ねる時がある、そう思う。
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Front view
porch to entrabce