architects’ safari park

MoMA entrance hall
GSDでジャックとピエールにプレゼン、クリティックを受けた後、それまで手付かずだった先学期の授業の最終課題を学校で連泊して土壇場で連続提出。その後またトラブルにまきこまれながらも、なんとかスイスに飛んで帰国。年末からぶっ通してワーキングした勢いで帰路にドイツに立ち寄って建築をちょっと見た後、先日ボストンに帰国。さすがに疲れたのか、帰路に見事に風邪を引いて寝込んでいました。スイスの話題、等々についてはまた追って追記しようとおもう。
さて、昨日はニューヨークMoMAの新しい企画展示会 “On-Site: New Architecture in Spain“のプレ・オープニングセレモニーに招待され、いつになくドレスアップして会場に赴いた。リサーチでいつもサポートをしてくれているジェフ夫妻からの招待である。今日のスペインの建築プロジェクトが展示されるという。そのイベントはインサイダー(身内)だけの会で、出展する建築家の家族や美術館関係者が来るという。その中に、以前、カナリア諸島のリサーチの際、サンタクルツで出会った建築家Antonio Coronaも出展している。またこの展示会はMoMA建築部門のチーフ・キュレーター、Terence Rileyが手がける最後の展示会である。(リンク先のサイトにはTerence Riley自身の声でオーディオ・レコーディングされている。)行かない理由はない。

Pollock

プライベートなセレモニーといってもそこはやはりMoMA。開始時刻の午後6時を30分ほど遅れて入場チェックを済ませた頃には、1階のホールは大勢の招待客であふれかえっていた。 灯りをしぼったモノトーンの大きなホールに真っ赤なテーブルクロスが引かれて、そこにずらりとボトルが並ぶ。そしてトラットリア等のスペイン料理。階段をそのまま上った2階の大きな吹き抜けのホールでは、スーツを着たDJがポロックの作品を横目に、いかにもヒップな雰囲気をかもし出している。行儀のいい招待客は誰も踊ろうとはしないけれども・・・。グラスを片手にロダンやポロックといった美術品を鑑賞するのは、今までちょっとなかったな。しかし今日はそんな名作たちよりも、鮮やかな色でドレスをまとういかにもスパニッシュな女たちの方がずっと引き立ってしまう。
こういうところ(?)には必ずいるのがGSDの仲間で、スペイン人留学生のヴィラーに「スペインの女性はきれいだろ?」と声をかけられる。
気持ちを切り替えて、4階の会場に入る。

On site : exhibition space
sejima
exhibition scene 3

入り口を入ったところで、サンタクルツでお世話になった建築家に声をかけられる。「俺の作品は見たか?」いや、まだ来たばっかりだって。もちろん拝見させていただきます。今日は出展している建築家が総出で来ていて、まるで同窓会のようだという。MoMAで同窓会とは、なかなか豪勢である。会場ではクライアントと思われる客人相手に、彼ら建築家がそれぞれのプロジェクトを身振りも大きく忙しそうに説明している。「このスペースを抜けると、あなたは色ガラスに包まれた光を浴びて・・・」プロフェッシヨナルな創作的実態がなければ、これはほとんど催眠術だ。
てっきりスペイン人建築家によるスペインの現代建築の展示会かと思ったが、そればかりではない。スペイン建築家のみならず、世界中の建築家による、スペイン国内で現在新しく生まれている建築プロジェクトを紹介する展示会である。
入り口を抜けるとすぐ右手にJean Nouvelによるバルセロナのタワーの写真が大きく迎えるかと思えば、いかにもスペイン風なグラフィカルな模型たちがざっと並んでいる。日本人建築家としてはSANAAとToyo Itoさんのプロジェクト模型がはす向かいに並んで展示されている。

Nouvel and Holl

しかし、そこもまた、見たこともない光景に遭遇した。見覚えのある建築家がいるではないか。あそこにも、ここにも。
真っ黒なスーツにスキンヘッドの巨人、怪物じみたオーラを放つJean Nouvelが僕の隣に来てH&deMの模型を表情を変えることなく見下ろしている。どことなく彼は錦鯉のよう(?)で妙な気分になる。そうかと思えば、そこにSteven Hollが真っ青なマフラーをはおって彼に声をかける。出展作品そっちのけで楽しそうに互いの近況を話し込んでいる。そこに通りかかったMark Wigleyも加わってにぎわい始めてきた。その向こうにはDominique Perrautが自分の大きな展示模型をチラッと見ている。構造デザイナーのギィ・ノーデルセンもいる。
GSDでお世話になっているSilvettiらもスペイン語を交えて歓談している。Silvettiはアルゼンチン出身だからスペイン語圏の出身である。USAでもスペイン語は英語と同様に公用語である。こうしてみると、スペイン語圏の世界的なすそ野の広さを改めて実感する。そこにジャックが一人会場に登場。スリムなダークグレーのスーツに足取り早く歩き回る。そこかしこに声をかけて会場をまわている。ちょっと遅れてやってくるというのは、すでにいくつかのグループに固まり始めている来客たちに軽く刺激を加えながら効率よく回ることもできて、効果的だなと実感する。軽く挨拶と握手をしたが、目を見ればこころは他所にという様子は感じ取れる。今日は社交で忙しそうだ。もう少し気をかけてくれてほしかったけどな。

Rafael Moneo

会場で大きな人だかりに囲まれていたのがRafael Moneoだった。スペインの巨匠といえば、やはりこの人のことなのだろう。いつものように、ストライプのシャツにジャケットを羽織って、眼鏡を頭にのせている。70になるこの建築家の出展作品は今回見あたらなかったが、ここでも展示会をまとめる重心としての存在感はきわだって大きい。彼はここMoMAの展示品はすでにもう見たという雰囲気で、会場をゆっくり回りながら周囲の人たちにいつもよりも嬉しそうにスペイン語で歓談している。
彼の授業でいつも最前列に座っていた自分を覚えてくれているのか、彼から暖かい握手を受ける。突然のことでこちらが驚いてしまった。それがまったく取り繕った感じもなく暖かい。
そうそうたる出展者の展示作品がずらりと並ぶのは壮観だ。しかしその代わりに、各建築家のひとつのプロジェクトごとに、模型か写真がひとつ展示される結果になり、それぞれの展示作品一つ一つに本来あるはずのパワーが伝わりにくい。どのような主題にそって作品それぞれが配置されているのかも把握できなかったのは、”Big Names”の存在感のほうが圧倒的だったせいなのか、それとも、そういう意図がもともとないのか。もともとMoMAの展示は作家個人の内面性やアイデンティティを掘り起こすよりも、作品を横並びにしてある種のstyleやmovementをcreateするのが得意な側面がある。かつてPhilip Johnsonが企画した国際建築展(The International Style: Architecture Since 1922)、そしてThe Deconstruction建築展しかり。そこにはフィクサーたるPhilip Johnsonの影がしっかり映されていた。 週末の夜な夜な、Johnsonの自邸にNYの顔ぶれが集い、次は何を仕掛けるかを語り合ったというう噂も嘘でない気がする。そして彼が亡くなり、Terence RileyもMOMAを去るときがきた。

exhibition scene

今回はある意味では「もうひとつの」国際建築展という読みをうけなくもない。いまや英語に匹敵してスペイン語は世界的な公用語として流通している。まだまだ英語圏のアングロ・サクソンの資本力には及ばないにしても、「将来アメリカはスペイン語が英語に代わってメジャーになるんじゃないか」といわれるほどである。インターネットでもスペイン語圏のアクセスはほとんど第二公用語といわれる。その国際的なコンテクストをもつ国の潜在力を見せるには、たとえ外人建築家であろうとも、ここに参加させる必要があった気がする。さもなくば、単なるスペイン国内のエキゾチックな建築紹介に終わりかねない。
そしてまた、スペイン的な建築とは何かという特質もまた揺らぎつつあるのかもしれない。ここにはたしかにスパニッシュ・モダンを世界に伝道してきたel croquis (エル・クロッキー)2Gのような媒体で見なれた、グラフィカルな作家の作品が再現されている。しかし一方で、よりズームバックしてスペイン語圏の建築を広く眺めたとき、それぞれの社会条件を反映したそれは、ひとくくりにできないほどの多様さで目をくらませる。ローカルとインターナショナル、テクノロジーと自然、ハイとローetcが互いに溶け合い、スペイン語圏がいっそう拡張するにともなって、そこでの生活や都市はどう変化していくのか。展示作品はその具体的なヴィジョンというよりも、おそらくその到来を予感させる何かだろう。しかしそれは今、実際に頭と手を動かして模索しなければ、何も見えてこないものだろう。

entrance

Moneoはいう
Criticism would no longer be an ally of the architectural practice and, instead, it was increasingly looking to become autonomous. As the result, architectural criticism did not play the role it had in the middle of the twentieth century anymore.
その意味で、この展示会もまたそうした批評性抜きのMoMAならではのイベントである。その上で、モネオはそれまでの希望的憶測を捨てて現在の状況そのものを直視した別の判断力が大切だという。これはリサーチの基本的姿勢にもつながるものだ。しかし今回の展示はワールドクラスの建築家とそれに比類する国内建築家のある種のバブル的光景以上に、何かを読み取るにはもう少し自分はじっくり時間をかけて見るべきなのかもしれない。
パリ、スペイン、スイスと世界中からここに集まってきた建築家がサファリパークの野獣のように徘徊する会場。あらためて、世界の多極化をふっとばすかのように圧倒的なパワーで人、モノ、情報を飲み込むこの都市の底力を垣間見たようだった。それでも興奮のあとには必ず倦怠もやってくるのは人間の性だろうか。挨拶もそこそこに、あの絵を思いうかべながら、ぼやけたビルの明かりで埋め尽くされた感じの街に出て行った。
Herzog & de Meuron
Zaha
exhibition scene
exhibition scene
Rafael Moneo

「architects’ safari park」への3件のフィードバック

  1. もはやユートピア精神というのは20世紀の遺産で、
    建築家としては現実的な社会性を意識しなければならないんでしょう。
    しかしそれでは「今」にしか成立せず、何十年後かには廃れてしまうのか、
    それともその土地のコンテクストを調査することで
    廃りを防げるのか・・・
    それならばとにかく今、かっこいいとか建築家が作りたいものを
    作ってしまえばいいのか・・・

  2. この話題には後日談があって、この週末にコロンビア大学で出展したスペイン建築家たちとモネオが壇上でシンポジウムをしてますね。当日参加された方もいたかと思いますが、Moneoは面前で出展した建築家らの作品を批判したとか。ひとつは長大なファサードをもつ建物に対して。模型のプレゼンテーションと、実際それが出来上がった時の体験のずれを指摘してたわけですが。GSDでも授業でよくあったことですが、健在ですね。
    彼は建築のそれぞれのもつ要素がどういう意味を持ち、それがどんな空間経験をもたらすのか、図面や模型からそれを読み取る力が卓抜していると思います。そして、その構想力について史的見識をもとに評価できる道筋(anxiety)をもっている。またNOXやグレッグ・リンなどの彼のスタイルとはまったくかけ離れた作家の作品もよく見ていて驚いたことも。
    その振る舞いといい、彼はたしかにスペイン建築家のドンにふさわしいですね。一見物静かで穏やかなのに、建築の話になると急にぱっと心に火がついて、情熱的に語る。彼の授業で一番感動したのは、最後に自作を語ったときでしたが。
    ちょっといただいたコメントから逸脱してしまいましたが、いつもお世話になっているyottak氏との話で共感できたのは、たぶん今「そこにないものをつくる」というのは、「新しいもの」ではなく「あるべきだったのになかったもの」ではないのか。いくつかの建築家の取り組みが共感を呼ぶのは、その場所への視線・観察の仕方と、それから何かを取り出してつくるその手つきにある気がします。それは狭義の意味でのテイストやリージョナルな建築からのシフトを意味することだと。

  3. PS.
    そういえば、コロンビア大学のディーン、バーナード・チュミが再任したみたいですね。あくまで噂での話でしかないのだけど、MoMAのテレンス・ライリーの後任がシルヴィア・ラヴィンとか、GSDから某有名建築家がコロンビアに移るかもしれないとか、いろいろなうわさがありますが、なるほどチュミなら実行力がありそうですね。
    こうした絶え間ない競争がそれぞれのアカデミーを鍛えていく状況は、なかなかおもしろい。

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