Innovative Constructions in Japan

Boston Christian Science Center by I.M.pei
早いもので3月。
2月には校舎の一室でGSDの建築家講師陣が山積みになった応募者のポートフォリオを審査しているのを見かけた。そろそろ、GSDに応募した人には合格の通知が届くのもこの季節。合格率は9%程度らしい。応募された方には良い結果を祈っています。結果はともあれ、暖かくなったこの季節、われわれがいる間に一度GSDに遊びに来られるのも一興かと。
どたばたしているうちに更新をおこたってしまった。面白いことはいっぱいあったから、その感動を忘れないうちに更新しておかないと。
HdeMのthesis workであれこれと苦悶しているにもかかわらず、いろいろなことに手を拡げている。アーティストの展示会の手伝いやら、ビジネススクールの友人とGSDのRyu氏とホテルのプロジェクトにちょっと参加してみたり・・・これでわが祖国(?)に錦を飾る(??)成績で卒業できるかな、と不安にならないこともない。しかし最後の学期、ひとつのことにすべてを注ぐよりは、卒業後どうなるか分からない種をまいて楽しむ方が今の自分にはぴったりくる。
ダメ押しに、この2月から、Innovative Constructions: cases in modern Japanという授業の助手を始めてみた。


文字通り、この連続講義は歴史や都市環境などの文化的背景を踏まえながら、革新的な素材、構造、施工技術をもつ今どきの日本建築を分析するもので、それらがどうやって実現されているのかを理解,考察しようというものである。ディテールも含めた3Dモデルを実際に作ったりもするので結構力の入った授業である。
個人的には声をかけていただいたとき、日本の建築がここでどんな風に評価されるのかに興味をもった。いまや「日本の」建築というよりは、建築家個人の顔が見える「日本の建築家の」作品が注目されているように映る。日本的というなら、彼らの文章のほうがとても日本的な感性を見つけやすいのではないだろうか。ためしにそれを英語に直訳するとニュアンスが消し飛んでスカスカの文章になってしまう。
それでも、内から見た日本と外から見た日本には認識上のズレがある。そしてその狭間に日本独自の建築という枠組みがやはりある。それが何なのか、逆に学ぶことができればと思う。

Spiral by Maki

たしかにGSDでも現代建築に限って言えば、日本以外にはダッチもスイスも、そして本国アメリカ建築の授業というのもないから、いっそう奇妙でもある。しかしGSDでは技術をどうデザインに応用するかという授業が多いから、そういう意味では日本の建築は独特で、良いサンプルとなるということだろう。参加している学生の国籍は多様で、留学生も多い。なかでも、もともと母集団の大きいアメリカと、次いで台湾の学生が多い。
講師はMark Mulliganというボストンの若手建築家で、GSDを卒業した後、東京の槇総合計画事務所(Maki and Associates)に勤めている。あのドラマ「協奏曲」で建築家・田村正和と弟子のキムタクが「設計」したとされる東京キリスト教会/Tokyo Church of Christなどを担当している。名手である。

Tokyo Story by Ozu

したがってこの講義にも槇さんの作品のケーススタディが出てくることが比較的多い。たしかに薄い層を高い精度で重ね合わせることで空間に奥行きを生み出す槇さんの空間構成とディテールは、彼の東京論The City and Inner Spaceにも示された、日本の都市がもつ層状的な空間的奥行きとも連結可能で、さらにはたとえば、授業でも上映した小津安二郎(Yasujiro Ozu)の「東京物語(eng.vesion)」に現れる、障子や襖で縁取られた浅いフレームが幾重にも重なる視覚的効果にも重なり合う。
たとえばそこに単層の曲げ板で張り合わせてそのまま建物のボリュームを見せるRichard Meierのグリッドの外装に比べ、おなじグリッドの外装でも槇さんの場合、アルミの切板で切断面を見せ、表層をボリュームから自立させる所作の違いがみて取れる。(–当然、コストもまた違ってくるけど、スティーヴン・ホールのMITシモンズ・ホールのようにアルミの切板を脳天ビス打ちして留めている例もある。あれもコストのせい?)またほかにも槇さんはTokyo Chuech of Christ で薄い皮膜がリテラルに障子のような光の濾過を実現しているのも記憶に新しい。
ディテールにはそうした建築家の思索が原寸大で集約されているものがある。そうしたディテールは特に日本の場合、特に設計上重要なポイントとなる部分を表現するものである。そこでは建築家のみで決定するよりも、メーカーや職人さん、現場監督全員とやり取りしながら施工図をたたき台にして原寸でサンプルやスケッチをもとに作りこんでいく。だからそれは物と思考をめぐる切断面だといえる。

Nakagin-core and cells
Nakagin-construction scene
Nakagin-section

それは、表面上どう見えるようにすればよいかということを示すのでなく、どのようにつくられ機能するのかをあらわすという意味で独自な意味合いを帯びている。
最近では授業で都市の新陳代謝の特質を建築に転用したMetabolismの話題は結構盛り上がったが、たとえば黒川記章/ Kisho Kurokawa氏の中銀カプセルタワーではカプセル部分とコアの構造体部分とのジョイントの収まりは、カプセル部分の交換可能性と、コアに取り付くための構造的安定性が同時に求められる重要なポイントでもあり、その2つの課題に対して、すべて工場で加工された精度の高いパーツによって一挙に合理的な解決がされている。当時その姿は現場製作した従来の建築の重苦しいイメージをはるかに超えて光り輝いていたのだろう。
しかし今、このビルもカプセルの交換について、いろいろ論争があるようだ。たしかにカプセルの交換が技術的に可能であっても、カプセルの交換自体は部分的な応急処置に比べて、相当な費用を必要とする。そして今、それがこの建物以外に流通しないカスタマイゼーションで成り立っている以上、建物自体を在来の建設方法で立て替えたほうが安価で広い居住面積を確保できるという矛盾に立たされている。たとえばコンテナのように建築以外に広く流通している規格をシステムに組み込んでいたら、その問題は改善されたかもしれない。住民がエアコンなどの新しい設備を取り付けようとしたためにアスベストが露出したりするといった、微細な規模の変更が、新陳代謝を受容するはずのシステムに機能不全をもたらしているという事実も興味を引く。絞り込まれた課題に対して明晰に解かれたシステムが、その精巧さゆえに想定外のシステムの介入で機能障害に陥ってしまうこともある。
その意味でコンクリート造の建築というのはおもしろい。コンクリートはその流動的な物性をもつから、自由な造形を可能にする。造り方も鉄骨造に比べるとシンプルで、複雑な工程をもたない。鉄筋を組んで型枠を建てこみ、そこにコンクリートを流し込めば出来上がる。コンクリート自体、もともとは建築以外の分野で開発され、後に建築に応用された歴史的経緯をもつことを以前、Piconから学んだことがある。
構造と空間のかたちが一体化しているから、使い手のニーズに合わせた間取りの変化をもたらすフレキシビリティがない、という批判を耳にしたことがある。一般論としてはたしかにそう面もあるかもしれないが、RCか鉄か木かといった素材の問題というよりは、設計者の構造デザインやプラン自体の個人的な問題といえるのではないか。たとえば・・・
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Ken Tadashi Oshima
先週、雪の降る中、ゲストに建築史家のKen Tadashi Oshimaさんを招いて建築家アントニン・レーモンド(Antonin Raymond)のコンクリートの建築作品について特別講義をしていただいた。オーシマさんとのご縁は結構前からあって、大阪で日埜さんがホストを務めた建築シンポジウムや、留学応募時期にメールでいろいろご相談を頂いたりしていたのだが、僕自身の怠慢もあって直接お目にかかって話をすることがなく、数年たってやっとのことで実現した。
いざお会いしてみると、あまりの日本語の流暢さにすっかり日本人と勘違いして、「英語がとてもうまいですね」とコメントしてしまったが、markに「彼はアメリカ人だから当たり前だよ」と突っ込まれる。
オーシマさんが紹介された、レーモンドのコンクリート造の取り組みは確かに面白い。レーモンドが海外で知られているのは、ル・コルビュジェの作品集に収集された「軽井沢 夏の家」で、本家コルビュジェをしのぐ名作だといわれる。それがお弟子さんの吉村順三さんの作品(たとえば軽井沢山荘)に展開されるに至る歴史的な経緯は前もって授業でこなしておいた。「軽井沢 夏の家」が木造だったが、レーモンドのコンクリート作品はどうだろう。

with Wright in Tokyo
Unnanzaka house in Tokyo 1923
concrete

チェコから渡米し、フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright )の所員として東京に帝国ホテルを設計監理すべく来日した彼は、関東大震災を体験し、コンクリートの耐震性とともにその造形性に着目する。そしてホテルの完成後、1922年ライトから独立して東京に居を移り、翌年日本初のコンクリート打ち放しの住宅(霊南坂の家)を建てている。
帝国ホテルではコンクリートはあくまでも構造体であり、ライトはそれを大谷石や木材で隠蔽したのに対し、レーモンドはコンクリートの型枠に転写された木目の素材感、そして構造体自体がもつ肌合いの表現に、日本の伝統建築に通じる美意識を見つけている。例えば、彼の建築では木の羽目板の収まりとコンクリート表面に写された木目のパターンがきめ細かく一致する。ダイナミックな構造造形はチェコ・キュビズム風でもあると同時に日本の民家の土間の吹き抜けを縦横に走る柱梁でもあり、そんな素材と造形観に彼の独自性が浮上する。
その後、パリでコンクリート造の建物を実現したオーギュスト・ペレの弟子フォイエルシュタインと協働設計し聖路加国際病院に取り組む。

Tokyo joshi-chapel
India

ここでまたさらに、コンクリートの造形可能性を広げている。器用な彼は東京女子大学のように、ペレのル・ランシー教会(パリ)
そっくりの教会を設計しているが、コンクリートを縦横に織り込んだ繊細な光の皮膜として扱う可能性に着目している。
1935年にはインドに渡りポンディシェリーの増院を設計している。日本と気候風土が異なるここで彼は日射をコントロールするルーバーをコンクリートで作っている。
その後、戦争のあおりを受けて1941年、東京の事務所を戦後まで一時閉鎖。戦争中は皮肉にも日本での経験をアメリカ軍に買われて、原爆実験場に日本の都市を復元する仕事にもかり出されていたという。
戦後になり、彼はふたたび、焼け野原になった東京に戻る。

Electrolux Research Cnter, CT, USA
Gunma

仕事を開始してまもなく、リーダーズダイジェスト(1951)のようにインターナショナルスタイルの箱型の建物を連作している。ここでも彼は構造的な構造柱を建物のセンターに集め、窓際から柱を取り除くことで開放的で透明度の高い構造を実現している。話は前後するがこの構造的試みはアメリカ滞在中から考案されていたもので、コネチカットの研究所の設計でもきわめて和風なエッセンスをもつ開放的空間をコンクリートで実現している。
コンクリートの造形性は群馬音楽センター(1961)でもきわめてユニークな形で追及されている。折紙のように薄いコンクリート板を折りたたんでいくことで、大スパンの構造体を可能にしている。最終案にいたるまでのいきさつは次のリンクに詳しく紹介されている。
コンクリートを駆使して、今でも十分通用する試みを行ってきたレーモンドの多才さには驚きを覚えた。われわれが現在、日本的なものとみなすコンクリートの打放しや素材感は、実は海を渡ってきたこの建築家の才能抜きにして語れないということになる。
そしてこうした歴史から現在のデザインに生きる論点を作り出したオーシマさんの視点もまた、とても重要だろうと思う。ヒントはすでにそこにあるのだが、それを見つけるかどうか、ということなのだろう。しかしこれは日頃から問題意識を持っていないと、なかなかそうも行かないだろう。ただ漠然と答えを待っていても何もやってこないのだ。
講演後、オーシマさんに「またいつかお会いさせてください」とお礼を告げた後、雪の小道をmarkと二人で最近の日本の建築事情について談話しながら歩く。月末に日本に行き、妹島さん、内藤さんたちに会うので日本語を復習しているという。
だんだんこの生活に終わりが感じられてきた今、周りの風景がとても美しいと感じるようになってきた・・・。
Carpenter Center from the exterior ramp