Spring Break

Gehry Building at MIT
今週はSpring Breakという1週間ほどの休暇期間に入っている。そう、その名のとおり、春はもうそこまでやってきた。そしてここでの生活もこの休みを過ぎれば、秒読み態勢になっていくだろう。自分はそのまま勉強を続けつつ、遅れがちな他のワークを進めている。
そんな中、お世話になったHさんとKさん二人の建築家ご夫妻が日本からボストンに来られた。こちらでの合間を縫って、会ってくださるという。


手書きからCAD/CAMまで ・GSDの変遷
Hさんとは日本で日頃いろいろとご相談に乗って頂きている。昨夏、東京でお会いして以来の再会になる。そして夫人のKさんは何度かメールで連絡を頂いたがこれが初対面になる。大学で待ち合わせ、GSDの地下階にある工房に行き、CAD/CAMのような最新の設備を案内する。これほど設備がそろっているのはアメリカでもここGSDとあと数校と聞いたことがある。日本でもまだほとんど導入されてないと思う。

Cad/cam- router

その後、近所の小さな喫茶店で歓談する。スペイン人の夫人がかれこれ40年以上、たたずまいをずっと変わらず守っている。Rafael Moneoもここでは息を抜いてスペイン語で茶を飲んでいるようで、そんな彼に偶然居合わせて挨拶したこともある。
Kさんは7年ほど前GSDを卒業されている。レムがスタジオで教えることをを拒み、「5ヵ年計画」を掲げて(from China, Shopping,Lagos… to Soviet)アーバンリサーチを始めた頃である。そして、Remがアーバンデザインprogramのchairmanの席に興味を示し(実現せず)、元気にリサーチの成果を世間に投げかけはじめた頃である。
その頃はこうした設備はまだほとんどなく、それに応じて教育方法も大きく変化していることがわかった。当時、授業も1年生は手書きの製図からはじまったという。しかし今ではmaster of architecture 1という、3年半の学科に所属する1年生はいきなりコンピュータのモニタをにらみながら、つぎつぎとこうした機械の使い方を叩き込まれる—ただ僕のようなpost graduateの学科に所属する人は、そういったことは要求されない。ここに来て、僕は手書きの図面を見たことがない。(もちろん禁止はされてない。)たった数年で大きな変化があったことを、初めて知った。きっとおそらくあと数年もすれば、今ここにある最新の技術も、なつかしい過去の遺物になってしまうだろう。
ところで一般的に、アメリカでの建築の質が低下してきたといわれる。その原因のひとつは、アカデミズムサイドの設計と建築実践が乖離し、互いがばらばらにやっていること、つまりデザインからプロダクションへのプロセスが切れ切れになっていることにある。ただこれはアメリカに限らず、今や方々の国で見られる課題だろう。
アメリカでは訴訟の多く、各業者の仕事や責任の分担もはっきりと線引きされる。ところが日本では施工が始まっても設計を変更することができる。かつて、村野藤吾の名作といわれる階段の図面を見て、スケッチ以外何も具体的な寸法も材料も書き込まれていないのを見て目からうろこになったことがある。現場で職人相手にすべてを決定するから、そのようなものは図面にいらないという決意の表れだろう。アメリカでは現場で設計を決定するようなことはまずありえない。
つまり日本では現場を担当する専門家と施工者、建築家がデザイン、テクノロジー、コンストラクションのアイディアを持ち寄って、具体的にアイディアを作りこんでいくという、現場からのフィードバックが可能だが、アメリカでは逆にそれが枯渇していた。
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Farnsworth house by MiesFarnsworth House by Mies

よく言われることだが、かつてはそうではなかった。ルイス・カーンの建築は非常に高い施工クオリティで実現されている。昨夏訪ねたミースのファンズワース邸でも非常に緻密な手仕事が四角い鉄骨とガラスの箱を「神の家」に変えることに寄与している。しかし今日アメリカではそうした質を求めることは難しくなっている。もちろんトッド・ ウィリアムズ & ビリー・ツィンのようにそうした質を維持している建築家も中にはいる。意外とそういう建築家も結構いるにはいるが、少数派である。
たとえばHさんによれば、伊東豊雄さんと佐々木睦朗さんが最近手がけた福岡の公園施設は、3時曲面のRCシェル構造だが、その難しい型枠組みを精確に施工するため、型枠業者が自らCADで作図したと聞いて驚いた。2次元平面の壁の割付ならいざ知らず、十分な知識と経験がなければ、そんな芸当は不可能だ。
先週講演に来たスイスZurichとLAの2都市に拠点を構える建築家Sarah Graham & Marc Angelilも、彼らのユニークな構法のアイディアを紹介した講演の最後で、いまや自分たちのデザインを高いレベルで実現してくれる国はスイスと日本だと締めくくっている。僕が助手を務める授業Innovative Constructions: cases in modern Japanでも、日本のそうした製作プロセスはとても興味をもたれる。そもそも自分の描いたデザインが実際に現場で立ち上がっていく過程に立ち会えるのは、人種や場所を問わず、誰でも興奮を覚えるものなのだ。

gehry at MIT

ではどうするか。その反省から、アメリカでも巻き返しがされている。アメリカは軍事テクノロジーを頂点として高度な技術が開発されてきた。ここ建築では、車や航空産業から転用された技術活用している。たとえばCAD/CAMのような高度な情報ツールを利用して設計サイドと製作サイドの情報交換のプロセスを再構成する流れがある。競技用ヨットの製作ではすでにこうしたプロセスが実際に行われ、その工場を見学する授業もあった。設計データをそのまま機械に流し、機械が鋳型をつくることで、複雑な形状も精確に工場製作することができる。プロダクトデザインや、プレファブ化できるパーツの製作にはとても有力な方法だ。
しかし建築につき物の一品生産となると、その費用はとてつもなく高くつく。だから制作費の安価な中国などにデータを送り、そこで工場生産する、ということも可能だろう。また製作側のメーカーの情報データをデザイナーサイドと共有することも可能で、製作サイドが建築家サイドから受け取ったデータに各専門家が構造、機械設備やパネル割りなどを書き込んでいくこともできる。
一方、日本の建築家も海外でプロジェクトを進めることや、海外に部品製作を依頼することが多くなった今、日本国内のような高い施工システムに頼ることは難しい。これまで日本の建築を支えてきたクラフトマンシップも、そのかげりが見えないとはいえない。そのような時、こうした新しいシステムはある必然性をもったひとつの流れといえるかもしれない。
Cad/ Cam example
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モノと手仕事 アアルトの建築訪問
その後、Sertの設計したPeabody terraceを案内。同窓のSoejima氏にご無理を言ってお宅を訪問する。突然の建築家訪問にさすがの彼も驚くかと思いきや、いつもとまったく変わらずスマートに受け答えする彼。やはり大物である。
そしてこの建物についてしばし雑談。この建物は当時ハーバードGSDに在籍されていた槇さんも設計に参加されたという話をしばしば聞く。けれども実はどうもそうでもないようだ。ただ多かれ少なかれ槇さんとセルトには交流はあったようである。槇さんは木の描き方がとても上手で、セルトも賞賛したという楽しいエピソードを伺う。
その足でMITへ.MITに群立する、Alvar Alato, Steven Holl, Gehry, I. M. Pei, Sarinenそれぞれの建築家による建物を見て回る。

Baker house--front view
The Baker house - backside
baker house hall

Hさんに「ここではAAltoは神だね」といわしめるほど、このAaltoの学生寮The Baker House(1947-48)は彼の本国フィンランドの建物には及ばないものの、ここでも高いクオリティのレベルを維持している。非常に面白い建物である。
たとえば外観である。ひとつの建物でこれだけ魅力的な変化を見せる。こんな芸当は彼の建物ならではのものである。川に対面するあの有名な波型にカーブ壁面に対して、キャンパスを見下ろす反対側は直線で構成されたデザインで、そこに階段が大胆な斜線をえがく。建物の周りをぐるぐる歩くと、その対極的な姿が不自然な断絶もなく、刻々と変化をみせながら結ばれている。
建物の中もまた変化に満ちている。特にこの建築家の設計した階段はぜひ体験したい(link:movie)。階段を一歩一歩、足を進めるごとに目に入る風景や空間のスケール感覚が変化していく。それを引き立てる小道具がむだなく空間に展開されている。なかでも白木の縦格子のような繊細な彼のディテールデザインは有名だが、ここでは決して難しい職人技を必要とするものでもない。むしろ簡単な部材の組み合わせでできていて、場面に応じてバリエーションを変えながら繰り返し使われて空間全体を律している。一方の目が物質に肉薄していながら、他方で建物全体のバランスにも目が届いている。
ふたたび外に出て、建物を見る。波のように曲面する外壁も実は多角形に折れ曲がった壁にレンガを貼って、スムーズな曲面に見えるように仕上げたものである。それが無理に包み隠されずおおらかに読み取れる。そしてそれは決して破綻したデザインになっていない。コンクリートのように平滑な面でなく、凹凸のあるレンガを使うことで、現場の製作誤差に許容範囲をもつデザインができている。レンガも一律でなく所々に割り肌のものを加えて変化を与えて壁面に表情を与えているが、その割付はある程度、現場の職人にまかせて作られたのだろう。そのせいか、わざとらしさがない。そうした才は、建築がすべて工場生産できるプロダクトにならない限り、絶えず必要とされることは間違いないだろう。その対極するものどうしを結ぶバランス感覚は他のMITの建物の中でも群を抜いて冴えている。

gehry building

トップの写真はGehryが設計したstata center(情報研究所, 2004年)。ちょうど小学生の集団が遠足に来ていた。”Wow, it’s so wired!(うわ、この建物すげえ変だ)”といって建物をぐるぐると探検している。子供は正直である。
アアルトをフィンランドで見倒したHさんは「この建物、実はアアルトの建物に似ているね」という。なるほど、一見するとまったく対極的な建物だが、アアルト風の円形階段をはじめ、どことなくアアルトがしばしば使った要素がこの建物に見て取れる。Gehryが意識したのかどうかは分からないが、結果としてはそういえるところがある。
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別れ際に
そういえば、こんな話もある。ゲーリーはGSDのアーバンデザイン学科出身だが、メディアには途中で必須の履修を止めて建築の授業を聴講し、大学を卒業していないようなそぶりを見せる。が、実は普通に単位をとって卒業しているらしい。彼自身の心意気はたぶん事実だったと思うが、ちゃっかり卒業しているというところがまた憎めない。
社会を渡り歩いてきた後、大学に戻って来るような友人たち。いろいろな建築の世界を渡り歩いてきた人間が集まっているから、その話題も豊富である。日本の建築家も含めて他愛もない建築家の虚と実は留学中いろいろと聞く。公に向けたはったりと裏腹の生身の人間性が感じられて、ついつい冗談半分に耳を傾けてしまう。かっこ悪いところも含めて、それもまた、魅力ある人の生き様そのものなのだ。
思えばここは、国や社会の枠組をいったん外して、仲間とどんなことも話すことのできる一種の出島だったのかもしれない。それもやがて間もなく、そこから出るときがくる。
ガイドを引き受けた自分だが、こうして自分の環境を改めて新鮮な目で認識できたのも、ご夫妻のおかげだろう。それにしてもこんなに外を歩くのも久しぶりだ。お二人には卒業後の進路のことなど、いろいろ気にかけてくれたのがとてもうれしい。ここを出て行くときが迫ってきている。留学生活で自分はどう成長したのだろう。それを振り返るにはまだ早すぎて、答えはうまく引き出せない。いかにももっともらしい答えなど欲しくない。それを知るには今はまだあと一歩、踏み込んでいくことだと思う。
この暖かい陽光の中で、Tシャツ姿のjoggerたちに幾度となくすれ違う。Harvard squareに戻り、別れ際にお礼を言って自転車に乗った。

「Spring Break」への3件のフィードバック

  1. I know what you are saying.. so you went to several place because you got a spring break and you came back to harvard square ….. I hope it is right..^^ although I shrunk it so short..

  2. Hey Jo!
    How ‘s your spring break? I heard you’ve got your driving licence, haven’t you? Do you enjoy driving these days?
    I have been in Cambridge and this topic is that I enjoyed a day walking around architecture spots here, with a couple of Japanese architects whom I owe a great deal. He is a prominent architect in Tokyo. She graduated GSD around 1998 presenting Rem’s Urban Research. We talked the gap between the GSD’s envrionment now and then; at that time, for example, there was few CADCAM based machines! There were many students drawing with hand though we never see such a student now.
    I am very fascinated with the possibility of these tools generating new notion of design, and it is boring to neglect the new design process. but we also take care of the prescription; rather than asking "what" we do create with the device, we might ask "how" they can shape their design in the expressionable range of the devices, but it is nonsense to just isolate such "what" from "how" presicely without interactions. We sometimes feel something’s looks same around us even though they would involve ideas something new —let me say we could say rather than strive towards the copy of any established practice, we are expected only to break new ground in design, where it may be safe from any critique.
    Anyway, then we visit MIT’s buildings. Steven Hall’s dorm was rather terrible for us while Aalto’s dorm was still attractive to feel his work implies his own way out of the dilemma.
    PS. It was a little sad Maki’s building project at MIT has stopped exposing the ground, though succeeding projects such as Hall’s dorm and Gehry have been copmleted.

  3. AAの学長のブレット・スティール氏は元GSDの方だそうですね。
    a+uでインタビューされてました。
    AAは私立の単科大学だけあって、意見をまとめたり、
    カリキュラムの変更が日本やアメリカに比べて容易だと。
    また、建築以外の人との接触もできるだけ試みたいですとか、
    やはり今でも建築学校のトップであり続けるために
    これからも進化をしていきたいと仰ってました。
    何をもってトップとするかはわかりませんが、
    ブレット氏は色んな意味でやる気がある人がAAには多いということを1つ挙げてました。
    日本の学校では周囲はほぼ同年齢・・・
    しかしこのまま少子化が進めば学校も重い腰をあげて動き出すかもしれませんね。そうならないと動かないのもまた問題ですね・・・
    ps:私はつい先日、無事に修了しました。就職活動中です・・・
    miyaさんも残り少ない学業生活enjoyしてください。

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