Terence Riley / Postmodernism in modernism

MoMA建築部門のチーフ・キュレーターを今年3月まで務めたTerence Rileyの講演。
タイトルはPostmodernism in modernism。どこか懐かしい響きをもつタイトルだが、彼のこれまでのMoMAのキャリアを振り返る、そんな意味合いも感じさせる。
GSDで今学期スタジオを教えている彼をちょくちょく見かけることができる。いつもは学生の机を移動しながら個別に批評をして回るのだが、この日は午後から夕方の講演直前までずっとスタジオの一隅でラップトップを凝視して発表するスライドの準備に集中していた。


MoMA and Terence
MoMAの建築部門を立ち上げた実力者Philip Johnsonの後継者として、彼は1992年にチーフ・キュレーターに就任後、90年台以降さまざまな建築の新しいモードをMoMAから発信してきた。”The International Style” 展(1932)から”Deconstructivist Architecture”(1988)まで、ジョンソンがモダニズムをヨーロッパから輸入しポストモダン化していったのに対し、モダニストを自称する彼はモダン建築をさまざまな角度から読み替えて新しい建築へのアプローチを見せてきたといえる。
Rem Koolhaas and Bernard Tschumi (1994), light construction (1995), Un Private House (1999), Mies回個展(2001), そして最後のイベントOn-Site: New Architecture in Spain (2006)。美術館の先物投資的な性格のなかで、彼の嗅覚は十分発揮されてきたといえるし、そうした新しい流れを「でっちあげ」に終わらず実際に世界の建築のモードに常に影響を与えてきた彼の才覚も卓越している。一大エポックの建築コンペにも審査員を務めている。WTCの再建計画, the 9/11 Memorial at the Pentagon, そしてMoMAの改築で日本の建築家、谷口吉郎を選んだのも彼といわれる。彼の講演ではラファエル・モネオや、ファシッド・ムサビ、Mansilla + Tuñon、ほかいろいろな建築家を見かけたのも、その彼のカリスマ性を物語ってもいる。
Barcelona Pavilion by Mies
Mies and Terence
ジョンソンがポストモダンやデコンストラクションといった新しいスタイルをプロモートしたのに対し、彼はそうした新しいスタイルを導入するかわりに、モダニズムをポストモダン以後に生まれた批評や知覚を通して再発見し、モダニズムの多極化、そしてスター建築家にリードされたハイパーモダニズムを導入してきた。その彼の講演はそのモダニズムに対する姿勢がはっきりと感じ取れるものだった。
ミースの顔写真から始まった講演では、ミースの作品からそれぞれの作家がそれをどんな別の角度から再解釈して作品に結んでいったのかを語る。ここではテレンス自身の眼をとおしてモダニスト・ミースから現在のリアリティをあぶりだし、最後にその締めくくりとして自邸を紹介した。
彼の建築キャリアはミースから始まったという。ミースのクラウン・ホールが水平線に水没するコラージュ写真、それは彼が建築学生のときの作品である。以後、ミースはトラウマのように彼の建築観に大きな影をおとしていく。沈みいくミースのガラスの箱に何を見たか?それを目撃したのは彼だけではあるまい。ある者はミースのベルリン近代美術館のコラムのデザインにクラシズムを発見し、それを自身の作品に展開する。またある者はガラスの皮膜に映りこまれる映像に魅せられ、透明と反射がおりなす複雑な映像を自らの建築に実現する。
この透過と反射の効果。それはミースのバルセロナ・パヴィリオンの見事な写真で見る者を圧倒させる。Rovin Evansの著作でよく知られていることだが、非対称な事物の配置がガラスや磨きぬかれた大理石の壁、水盤によって反射され、対称的な映像を浮きぼりにされている。
この突き当りの焦点に彫刻が沈黙を守っている。
その象徴的な空間の成り立ち方を読み替えた建築家もいる。レムの住宅の中央に置かれたシャワーブースはすりガラスと鏡、水、そしてそこに裸体が介入することでオリジナルとの強いつながりを感じさせる。
バルセロナ・パヴィリオンにインスパイアされたのは建築家だけではない。写真家トーマス・ルフの写真は彼のMies展目録の表紙にもなったもので、それまでの建築写真とはまったく違った姿を見せている。マイケル・ヘイズが言うように、今ではCGか実物の写真なのか区別のつかない建築が世界に蔓延している。しかしCGでは表現しきれないものを表現できる作家は非常に少ない。たしかにCGの仮想世界は我々に未知の発見をもたらすことがあるし、またわれわれの建築の想像力はそうしたデバイスによって飛躍したかにも見える。しかし、言い換えればそれにとらわれてもいる。
またバルセロナのような外部に向かって伸びていくタイプに対して、囲まれた壁をもつコートヤード・ハウスのタイプにも彼は関心を向けている。そこにミースからジョンソン、そしてテレンス自身にいたる一本の軸を引いている。
Johnson and Terence
ミースのコートヤード・ハウスはドイツではほとんど実現されることはなかったが、それを別天地アメリカで実現させたのがフィリップ・ジョンソンだった。ジョンソンはハーバードで建築を学んでいるとき、自邸をここボストンに作っている。モネオが「今もその家は残っているよ」と学生に混じった客席からコメントを入れる。
Johnson's house in Harvard
Rockfeller gesthouse by Johnson
さらにジョンソンはマンハッタンでもロックフェラーのゲストハウスを実現している。ここではさらにバルセロナ・パヴィリオン風の手さばきが盛り込まれ、水盤を張った中庭をはさんでリビングとベッドルームが対面するプランを実現している。そのジョンソンが参照したであろうミースのコートヤード・ハウスのプラン。描かれたパースには虚空のなかに起立する壁。そこにモンタージュされた映像。そこにテレンスは別天地マイアミの新しい自邸のスライドを挿入する。
ジョンソンは一連のミースの模作を通してその精度を高め、ついにはマンハッタンのシーグラム・ビルでミースと協働するまでに至った。しかしそれでもなお彼が本家のミースの領域に足を踏み入れることは叶わず、ポストモダンにシフトしていく。それに対し、テレンスは、はじめからそうした挑みをかけない。
NYからマイアミに本拠地を移した彼は、オリジナルに遡るかわりに、彼がこれまで引き寄せたミースをめぐる解釈をそこにリミックスし投影させている。
ジョンソンがボストン、NY、コネチカット(自邸)というスノッブなロケーションでミースの写しを造ったのに対し、テレンスは快楽の地、マイアミというロケーションを選ぶ。ここではミースのオリジナル空間の体験をリアルに再現するというよりも、彼のポップカルチャー以後のミース解釈をモンタージュしているようだ。周囲を壁に囲まれた彼のコートヤード・ハウスでは、プールのある中庭をはさんでガラスに囲まれた部屋が対置する。プールとガラスのニュートラルなガラスの建物の組み合わせはデヴィット・ホックニーの絵画そのものである。そのガラスの向こうには何も描かれていない。ガラスの向こうに何があろうと、水しぶきをあげて水面下に沈んだのは住人なのか彫刻なのか。
またそして夜になれば、水盤に照明が彩られ、壁面には映像が投影される。
そのアプローチはレムが1986年にミラノ・トリエンナーレで展示したバルセロナ・パヴィリオンのパロディに極めて近いようだ。八束はじめさんは「ミースという神話」でそれをless is more 的なオリジナルのセッティングと、ポップカルチャー以後のless is bore(ロバート・ヴェンチューリ)的なテイストの結合という力技という。ニュートラルなミースの空間のなかで、いかなる要素も現代的な解釈に転用される。そしてそこにポストモダン的な多元的な姿が現れる。
アメリカの都市はインフラとニュートラルな空間の組み合わせによって、いかなる場所と時間をこえて都市を拡張し、また都市を更新させてきた。ニュートラルは多元性を支えるデバイスであると当時に、多様性を収容し全体に結ぶシステムでもあった。彼の最後のスライド、History and Culture in Miamiと記されたマイアミのクラシカルな建物の写真がCGのように、とてもバーチャルに見えるのはそのせい、といえるのかもしれない。
Terence house in Miami

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