初雪

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初雪だ・・・
今年は例年より少し早く寒波がやってくるといううわさ。
来週金曜はロッテルダムからOMAの白井さんと重松さんがGSDに講演にみえるとか。白井さんはKEI氏の大学の同級生らしく、また僕も昨年ロッテルダムでお世話になったので再会が楽しみだ。
これはアジア出身の学生が中心に活動するアジアGSDの主催によるもので、毎週金曜にイベントを行っている。想像の通り、オマの人気はここでも非常に高い。
だが一方で中国出身の友人がしばしば話すように、中国では最近、コンテクストを無視した外国人建築家(ポール・アンドリューのあれとか)とそれを選ぶ中国の建築アカデミズムに批判的または修正主義的な意見も高まってきつつあるとのこと。日本のメディアではそうしたプロジェクトを推進する中国人エリートを進歩的と評価しているものもあるが、彼ら中国人留学生にとっては全くそうではない。
というのも、当地のビッグプロジェクトでは、コンテクストに対する配慮や戦略はほとんど求められず、外人建築家には敷地の現況を一新するシンボル性が優先的に求められる。人々の生活を支えた街区は一掃され、タブラ・ラサと化した空虚な場所にシンボルと化したビルがそびえる。最近いよいよそれが衆目にもあらわになり、これは皮肉にも第二の「文化大革命」(だが今日それはコミュニズムのブルジョワという新しい種族を量産するし、友人たちも相当なエリート層の優秀な子息ということは今更いうまでもない)と、のん気な冗談もいえない状況となっている。もちろんすべてがそうでないのだが、自国でできない造型をかの国に「空から落下」させる建築家、そしてそれを求める自己破壊的な状況は裏を返すと、彼らにある種の文化帝国主義に映ってしまう。(この状況は30年代のソヴィエトと比較でしてみると妙に符合していないだろうか。そしてレムの次のリサーチ先は旧ソヴィエトだ。)
また一方で彼ら現地ローカルアーキテクトはわずか2,3週間でビルを設計し、外人建築家のようなデザインは一切期待されず、なによりコスト、機能とわかりやすいシンボルがあればよしとされるのだそうだ。もちろん彼らもそうした状況の打破を求めている。したがって彼らはそうしたスターアーキテクトの尻馬に乗った海賊版的模倣よりもむしろ、既存のコンテクストと急激なグローバル化のギャップをどう扱うかに関心が移っており、COOLな「確信犯」のようなオマのCCTVにも共感と違和感が入り組んでいるように映る。またこれは彼らにとって中国人とは何かというアイデンティティを問うことなのだ。むろんその可能性の糸口とは、日本がそうであったような帝冠様式やポストモダンもどきでもなく、より急激に変化するランドスケープに対する身体のもつ時間と歴史の感覚の関係の書き換えを促すようだ。その延長線に中国の行方を占う何かがある。
さて・・・