Judd Tour: テキサスドライブ編/The Chinati Foundation (1)

汗一つかかなかった冷夏のボストンを過ごしたアジア系友人3人と、大学開講前に暑い夏を求めてどこか行こうという話になった。
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向かう先はテキサス。車を借りて荒野を走り、とにかくどこかそのあたりでテキーラを飲もうという、とても安直な計画が進んでいった。まずDallas空港から車でメキシコ国境近くの街、MarfaのChinati Foundaitonに向かい、その後、建築学生の「お約束」として、建築をみるべくSan Antonioにあるリカルド・レゴレッタの市立図書館、そしてDallas=Fort Worthのキンベル美術館と近代美術館、レンゾ・ピアノのNasher Sculpture Centerなどに寄ろう、という話でまとまる。
Chinati foundationとは美術家Donald Judd(1928-1994)が開設した現代アートの財団で、もともとメキシコとの国境をにらむアメリカ軍の前線基地だった。その建物群を彼が1979年から購入し改修を手がけ、現代美術のための前線基地に換えている。広大な敷地にはジャッド自身の作品のほかにも彼の友人の著名美術家が寄贈した作品が収蔵されて、現在も拡張を続けている。さらに彼の住居兼アトリエも生前のままの状態で残され、訪ねることが出来る。
ダラス空港からレンタカーに乗り、まずは一路Marfaまで合計10時間のドライブを敢行。早くも我々の楽天的な予想を遙かに上回る時間のドライブになった。ハイウェイを降りて人気のない一本道をひた走る。ヘッドライト以外に頼るものがない路上で突然、日本から携帯電話に2件も電話を受け(うち一つは銀行)、とても不思議な距離感を味わう。
しかしやがてそれも音信不通になる。電波の及ばない境界線を越えたのだろう。人気のない街に到着したのは深夜1時。あてにしていた安宿はとうの昔に倒産し、街外れの荒野に面したモーテルRita Inn(一部屋:2Wで約$60)でようやくベッドにありつく。 ・・・とは言っても、信号はたった一つしかない街から車で5分もすればそこは人のいない場所になってしまう。

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ここで少しジャッドのこの場所での活動する経緯を思い起こしてみる。
ジャッドは1960年代からニューヨークでアーティストとしてプライマリーな形態のオブジェを発表し続けていた。作品が3次元だということは現実の空間を占め、つまり定義されかつオープンな空間を占めるということであり、オブジェそのものだけでなく、作品を取り巻く空間との関係が非常に作品の質を作用する。しかし、多くのインスタレーションや作品の取り扱い方が作家の意図にそぐわず不適切で、そのため彼は作品を作家の意図に忠実に見せたいと考えた。彼は次のように書いている。
「どこかに現代美術の一部は芸術とその文脈の意図するとおりに存在すべきである。ちょうどプラチナ・イリジウム製のメートル原器が巻き尺での測定の誤差を補正するように、この時代と場所の芸術のための厳格な基準がいる。」

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そこで彼は作品をその周囲の空間と無関係に白い箱形空間に陳列されることに異をとなえ、そしてアートと生活と仕事が現実の空間の中で相互に働きかける場を自分で作るようになった。
それは普通の美術館ではほとんど運営上不可能な、少数の作家による大きな作品がそれぞれのための独自の場を与えられることだった。しかもそれは、恒久的にインスタレーションされる。
こうした恒久展示の考えは、たとえば磯崎新氏が93年頃日本の岡山県の内陸部に位置する奈義町に恒久展示を前提にした奈義美術館の構想にも影響を与えているだろう。(そういえば、この地にも自衛隊基地があるのはそうした発想の引き金になったのかもしれない。)
そしてその後、多くの美術館やギャラリーが彼のアプローチに影響されることになる。例えばニューヨークにあるDIAアート・センターはチェルシー地区の古い工場を改修している。そしてロンドンのテイト・ギャラリーはかつての発電所を美術館に改修している。美術家にとって何故新築の美術館よりも古い建物の方がいいのか議論すると複雑になってしまうが、現代の建築に対する不信感があるという。少なくとも多くのアーティストはそう考えている。テイト・ギャラリーが拡張計画を決める際にアーティストに、どんなタイプのスペースに自分の作品を展示して欲しいと思うか意見を聞いたところ、大半のアーティストがこういったタイプの既存の建物がいいと答えたという。