Judd Tour: サン・アントニオ編 (2)―テーマパークとダウンタウン

サン・アントニオ。平日とはいえ、ダウンタウンは想像以上にたくさんの店のシャッターが降りっぱなしになっていて、閑散としている。にぎやかなのは、観光客をあてがった運河沿いの繁華街だけのようだ。テキサス有数の観光都市。中心街の旧運河をレストランやバー、その背後に大型ホテルと駐車場が囲む。
運河に人が集まるほど、駐車場や大型ホテルはダウンタウンの各地に上陸し、そのエリアを単なる裏庭的なものへと魅力を損なっていくという悪循環にあるようにさえ思える。
対照的に運河のエリアは趣向を凝らしたヒューマンスケールのストリートデザインがなされて、蛇行する運河にはゴンドラが往来し、観光客を飽きさせることがないようにしている。そのニセモノ感いっぱいの街をひとまず地ビールとメキシカンフードで楽しむ。そのスケール感といい、イメージといい、博多のキャナルシティ(設計:ジョン・ジャーディ、企画:浜野研究所)はここを参照してデザインしていることはほぼ間違いないだろう。しかしここではそれがより大規模に街の中心を占めている。運河沿いの建物の皮一枚向こうの街区とはなんの脈絡もないインテリア化された街である以上、ショッピングモールとそれほどの違いがあるわけでもない。ゾーニングによって計画され、生活が欠落したこうした街区では、自身を更新していく力を失い、内向化し人をそこから疎外していく。

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レゴレッタの設計した市立図書館はそうした人気のない中心街のエッジに位置する。周囲は立体駐車場や病院に囲まれ、観光にはさほど魅力のないロケーションにある。そうした場所でこの建物は上下左右に凹凸の身振りをして、周囲の視線を引き込んでいる。この建物の色彩はレゴレッタ特有で、周辺の環境から建物を際だたせているが、しかしマッシブな壁のデザインや吹付モルタルのテクスチャーと相まって、伝統的なイメージを彷彿させる。壁の凹面は深く刳り抜かれ、テラスや空中庭園が作られている。そのさらに奥はガラスの大きな開口を通して強い日射を遮り、建物内部の様子を外部に発信している。
庭園から建物内部に至るシークエンスも完成度が高い。庭園に自立する列柱と植栽が平行に走り、玄関ポーチへ自然と人々を招く。天井を低く抑えたエントランスを抜けると1階の受付の奥に色彩豊かな吹き抜け空間がちらりと見える。誘われるエスカレーターを上って吹き抜け空間へ。トップライトをもつ壮大な吹き抜け空間からはギャラリーや図書室、閲覧コーナーなどでのさまざまな空間と活動が現れる。
この建築は大スパンの開口や吹き抜けなど、大きな空間を間延びすることなくリッチな空間として体験できる。それは、ヒューマンスケールの空間や、空中庭園やテラスを通して差し込む光や色彩、そして開口にフレーミングされたサン・アントニオの風景が一連の空間体験の中で相乗効果として連携しているからだろう。吹き抜け空間などの多目的で都市的な空間は市民にも非常に人気が高い。かえってそうした状況が、この都市に欠落しているものが何であるかを物語り、またそれを建築家がいかに補完しようと意図したのかが伺えた。
ただ一つ・・・・同じ頃、カタルニア人(この地方の多数がスペインからの独立を運動しており、彼もその一人なのでそう呼ぶ)のメキシコにリサーチに出かけていた。バルセロナでランドスケープデザインを勤めてきた彼は、一連のルイス・バラガンとレゴレッタの作品を調査して回った。その後日談によれば、レゴレッタの作品はほとんど全くといって良いほどバラガンのコピーないしは大規模建築に拡大コピーしていたという。濃縮されたバラガンの空間は、物体そのものを見るというよりも、光や気配を通してその存在を感じるといったほうがよいほど、感動的だったという。それに比べて・・・たしかに、アプローチから内部の部屋に至る空間のドラマのあらましは無批判にほとんど同じで、レゴレッタのオリジナリティを見つけるのは難しいかもしれない。しかし、村野藤吾が語ったように、真似もまた非常に難しい、ということはせめてもの救いかもしれない。

今週土日はニューヨークに行ってきます。スタジオプロジェクトの敷地見学と、講師のARO事務所に行かなければいけないので。事務所はAMO・OMAとtoshiko mori 事務所とビルを共有しているそうだ。

Judd Tour: サン・アントニオ編 (1)―地平線の見えるファーストフード店

モーテルで2泊目の朝を過ごしてChinati foundationを再度訪れる。ジャッドの旧来の友人、彫刻家オルデンバーグClaes Oldenburg and Coosje van Bruggenの作品「The Monument to the Last Horse」を観るために。事務所のスタッフの女の子が特別に案内してくれるという。彼女は地元テキサスのオースティン 出身で、父親が建築家なのだと言う。自宅は彼女いわく”wired”だったそうなのだけど、そのおかげか彼女の姉妹も建築を大学で勉強し、また自分もこのMarfaに来てアートに囲まれた生活を静かに暮らしているという。ここでは本当にお金の心配をしなくて良いほど、何も使うところがないという。

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オルデンバーグの彫刻はこのMarifaの中では唯一、具象的な形をとり、馬の蹄鉄をFRPでスケールアップしている。この彫刻はこの地で最後の馬に捧げられたメモリアルなのだが、その位置と、スケールは手袋のようパーフェクトに敷地に呼応している。ジャッドは自身とは全く異なるスタイルのアーティストの作品も的確に評価できる才能と自由さをもっていたのだと思う。
その後一路サン・アンノトニオへ。約6時間のドライブの3分の2をただただ地平線を眺めながら走る。ハイウェイにようやくたどり着いてもたまに現れるロードサイドの店はガソリンスタンドかファーストフードの店に限られている。その向こうは何もない荒野と、退屈きわまりない低層の建物がたまに横たわっているだけだ。火星に人類が住み着いてもこんな風景が増殖されるのだろうかとふと思う。
でもそこにも人はサボテンのように住み着く。ドライブの休憩をとるために店に寄ればいつものメニューにナチョスといったメキシカンなメニューが付加される。しかしそれを腹に流し込むのはコーラかペプシと決まっている。ファーストフードの食材はたぶん、どこかの大きな配送センターから飛行機で毎日こんな僻地にさえ空輸されているだろう。世界のどこかで、同じ時間にまったく同じものを食べている人が何人いるのだろうか。

Judd Tour: テキサスドライブ編/The Chinati Foundation (3)

翌朝、ジーンズ姿の地元の人が集まるカフェでナチョスを朝食にとる。どこから来たのかと店のおばさんに尋ねられる。ボストンから来たと応えるとドーナツをおまけしてもらう。薄味のコーヒーを飲み干し、Chinati Foundationへ。

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事務所は以前のように無造作にアートの本がジャッドのデザインした机に積まれている。以前はなかったChinatiロゴ入りTシャツや帽子が売られている。ジャッドが忌み嫌った美術館みたいだと友人と笑う。しかし居候の猫たちがそこを昼寝のベッドに使っているせいか、今ひとつ売り上げはさえないみたいだ。
Foundationのスタッフに案内してもらう。ここでジャッドの主要な作品として2つの大きな作品がある。一つは2棟の旧大砲格納庫に置かれる100ピースのアルミの作品。もう一つは15ピースのコンクリートボックスの作品で、これは1kmにわたって旧滑走路に沿って設置され、ジャッドの最大の作品となっている。
それらを観て歩き回る体験は、形の意味や内容よりもむしろ、そうした形を認識する知覚の意識そのものが丸裸にされて浮上するかのような強い感覚を呼び起こす。オブジェクトが周囲の空間を強く認識しトレースするための基準線となっているかのように。それは地平線が続くこの場所の「状況」との強い対比の中でいっそう強く力を与えられているかのようだった。
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草原の波間に浮かぶかのように見えるコンクリート群は、どのユニットも同じ外形の2.5×2.5×5mで、同じ形のヴォリュームが開たり閉じたり、様々なヴァリエーションがコマ送りに展開される。そうしたリズムを持つ組み合わせが、シンプルなヴァリエ−ションのなかにさまざまな視覚的効果をもたらし、空間を巧みにコントロールしている。>>写真
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100 untitled works in mill (旧大砲格納庫)はアルマイト処理したアルミの厚板を組み合わせてデザインのすべて異なる100ピースの作品のシェルターとして使われている。ここでは建物の側壁をガラスの大開口に改造しアルミの十字形のサッシが連続する。この窓の割付に合わせて絶妙なスケール感とプロポーションをもつアルミのオブジェクトがハードなコンクリートの床に並列される。自然光を受けてあるものは燦然と輝き、あるものは風景に完全に融け合い反射し、またあるものは鏡のよう浮かび上がる。そして夕刻、黄金色の陽の光を受けると、作品全体が炎のように輝く。>>写真

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アリーナと呼ばる建物は、かつては運動場、馬術場として使われ、ジャッドは床下に基礎をなしていたコンクリートのストライプをそのまま活かし、小石を敷き詰め、自身のデザインした家具をアレンジして大きなダイニングホールにしている。既存の空間に挿入したかのような白い箱状の空間と、その周囲に残されて露出した既存の構造体との対比がパーフェクトな均衡を保っている。壁はそうしたバランスを損ねないよう、十字型正方形の回転ドアが注意深い位置に取り付けられ、他の窓はその痕跡として窪みだけを残して壁が間延びしないようにしている。>>写真
ここにはジャッドの作品だけでなく、カール・アンドレやイリヤ・カバコフなどの作家の作品が旧兵舎の中にインスタレーションされている。なかでも、ダン・フレヴィンの蛍光灯を使った光のインスタレーションは、6つの建物を使った大規模な展示で、光と空間のリズムが美しい。展示室の窓からは外部の自然光が入り込み、時間の経過とともに蛍光灯の光の強さも微妙に変化していく様子に関心をもった。
クライマックスはジャッドのアトリエ兼自邸のマンサーナ・デ・チナティへ。マンサーナとは地元の言葉で正方形という意味で、具体的にはこの敷地の形のことをいう。Marfaの中心街の道路に囲まれた1ブロックを占める大きな敷地で、かつては隣接する鉄道から降ろされた資材を置くヤードと軍の管理事務所として使われていた。彼は建物の周囲を注意深く伝統的な日干しレンガで囲んでコートヤードハウスとし、旧格納庫にはジャッドの作品が注意深く置かれ、さらに彼と彼の家族のための生活空間が建物内外に広々と結ばれている。
ジャッドはアートをよりよく理解するためには、アートとともに生活しなければいけないと考えていた。すなわちアートと生活を分けるのではなく統合したいと考えた。ここにはアートを設置した空間には、必ずベッドやベンチ、テーブルがあり、日常生活にアートが組み込まれている。家具は自身がデザインしたものもあればアンティークの物もあり、それらが作品を観るのに最高の位置に置かれている。彼の図書室にはおそらく数千冊以上におよぶ本が本棚に並び、世界中の美術や建築への並々ならぬ知識が伺える。建築の蔵書としては日本を含めた各国の伝統建築の他に近代建築の蔵書がスペースを占める。そして机や棚の上には大小さまざまな世界各地からジャッドが集めた伝統工芸品や貝殻といった自然の造形が置かる。こうした生活からは彼がミニマルな形態にかたよった人物では全くないことは明らかで、彼の作品とその空間とは、非常に広範な体験と知識から集約された小宇宙だったといえるのかもしれない。
実は彼はここにさらに増築を考えていた。中庭にはプールとアトリエが計画されていたが、急逝したことで未完のままの姿をとどめている。しかしそれがかえってこの建物の生命感をとどめている。薄明るい書斎には彼の椅子がたった一つの窓ごしにジャッドの愛した中庭の木をひっそりと眺めている。
(残念ながらここは撮影禁止とのことでした。)

レムのリサーチ

今年はレム・コールハースのリサーチが発表されましたので、ちょっと一報。UTOPIA?という名のリサーチ。
GSDのコースレヴューの席でAMOのジェフリー・イナバ氏が学生の前でプレゼンをしたのですが、1970年代のソヴィエトの都市計画とその建築を現地調査し、イデオロギー上理想的空間がその後どのような形で機能しているのかを調査するとのこと。非常に人気の高いリサーチで、倍率は定員の20倍くらいかな。ラゴス、中国と3番目のハイパー資本主義化した都市に対して、近代イデオロギーの残滓とその変容を観るリサーチになるのか。ひとまず以下概要をコピーします。

The course will examine the planning agendas of ‘avant garde’ Soviet architects from the 1970s. Can their ‘project’ be categorized as utopian? What were the ingredients of Soviet urbanism at the time?
This pivotal period, situated on the cusp between an ideologically rich past and a politically tumultuous future, will be explored for the social, political and aesthetic ambitions of its urban thinkers. Working with the Architecture Museum in Moscow, students will research the era’s urban proposals, buildings, publications and exhibitions. Based upon these findings, the group will develop the arguments and prepare the content for an exhibition in the same museum scheduled for Jan 2005. GSD Courseware Website

Judd Tour: テキサスドライブ編/The Chinati Foundation (2)

9年ぶりのMarfa。
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9年前は日頃からともに毎日のように居酒屋議論を重ねさせていただいた建築・美術評論家の大島哲蔵さんと思いつきで購入した航空券でロスまで行き、そこからとにかく車でアースワークを訪ね回る旅のハイライトがここMarfaだった。バーネット・ニューマンの絵画のように、延々と続く一本道を進み、ようやくたどり着いた。周りを荒野に囲まれたそこは、カウボーイハットをかぶった色黒のおじちゃんたちがいつもの仲間と酒を交わしながらスペイン語を話す素朴な地元の人たちの街だった。ただこの街はどこかそれまで訪ねた西部の歴史感ただよう街とは違い、どこか異彩を放っていた。
基地の街としてにぎわったこの街も、やがて軍が撤退するとこの街は静かな眠りに入っていく。その名残のように、装飾のないスパルタンな形の建物が建ち並ぶ。ミニマリズムとミリタリズムをゴロあわせしてミリタリー建築との類似さを思わず漏らすと、大島さんがそれをえらく気に入ったので、うっかり調子に乗ってジャッドのパートナーであり、財団のディレクターでもあるMarianne Stockebrandさんに両者の関係についてしつこく質問したことを思い出す。その後廃墟になっていく建物をDIAが購入し始めるが、経済的理由によりプロジェクトを中止。はしごを取られたジャッドは、その後紆余屈折を経て自力でこれを引き継いでいく。
かつてジャッドの作品はこの寂れた街で孤高のような強い存在感を放っていた。自らの評価を安易に社会に求めず、自身を強く確信し肯定しなければたどり着けない極致に自らをおいているがゆえに。彼自身の目でいくつかの建物を買い取り、歴史や場所の特徴を活かしアートのための空間にレストアしていく。そして廃墟と隣り合わせに野性的な空間が現れる。その緊張感にスリリングな強い魅力を感じ取り、いつかもう一度訪ねてみたいと思った。

・・・・・
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しかしその数年の間に、街の様子が少し変わっていることに驚いた。
たしかに相変わらず、地元の人の車であろう、ムスタングやマーキュリーといった懐かしい車がタイムスリップしたかのように、おそろしくゆっくりしたスピードで行き交う。
しかし一方で、かつての古ぼけた空きビルにはアートと建築専門の本屋やカフェが並び、都会顔負けの味とインテリアのレストランが出来ている。かつてここで夜遅く食事とお酒を求めるには、たった一軒の古びたバーしかなかった。キッチンにぽつんと立っている初老のおばさんに僕らがジャッドのことをどう思うか尋ねると、彼女は静かに応えた。
「彼はニューヨークから来た人だからね。」今はそのおばさんも亡くなり、JOEという男に引き継がれていた。
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その発展ぶりは、Chinatiに来た観光客をあてがった消費カルチャーの浸透とも 言えるかもしれない。しかし、それにしても他のアメリカの多くのダウンタウンがゴースト化し、かわりに郊外のショッピングモールのような生活実感のない偽造の街が増殖していることなどに比べて、Marfaのように生活の中にアートが同居して既存の空間の魅力を引き出し、街に人が集まるような事例は、今日のアメリカではとてもレアなケースだろう。ジャッドがそんなことを決して意図しなかったとしても。
だがそのせいだろう、街の中にあるいくつかの彼の手がけた空間は代償として、以前のような孤高の野性的な生命力を失っていく。今後、周りの変貌にのみこまれて、結局、ツーリズムの陳列品になるのか、それとも独自の強度を保ちつづけるのか・・・ 今の時点では行く先をもうすこし見守る必要があるだろう。