Judd Tour: テキサスドライブ編/The Chinati Foundation (2)

9年ぶりのMarfa。
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9年前は日頃からともに毎日のように居酒屋議論を重ねさせていただいた建築・美術評論家の大島哲蔵さんと思いつきで購入した航空券でロスまで行き、そこからとにかく車でアースワークを訪ね回る旅のハイライトがここMarfaだった。バーネット・ニューマンの絵画のように、延々と続く一本道を進み、ようやくたどり着いた。周りを荒野に囲まれたそこは、カウボーイハットをかぶった色黒のおじちゃんたちがいつもの仲間と酒を交わしながらスペイン語を話す素朴な地元の人たちの街だった。ただこの街はどこかそれまで訪ねた西部の歴史感ただよう街とは違い、どこか異彩を放っていた。
基地の街としてにぎわったこの街も、やがて軍が撤退するとこの街は静かな眠りに入っていく。その名残のように、装飾のないスパルタンな形の建物が建ち並ぶ。ミニマリズムとミリタリズムをゴロあわせしてミリタリー建築との類似さを思わず漏らすと、大島さんがそれをえらく気に入ったので、うっかり調子に乗ってジャッドのパートナーであり、財団のディレクターでもあるMarianne Stockebrandさんに両者の関係についてしつこく質問したことを思い出す。その後廃墟になっていく建物をDIAが購入し始めるが、経済的理由によりプロジェクトを中止。はしごを取られたジャッドは、その後紆余屈折を経て自力でこれを引き継いでいく。
かつてジャッドの作品はこの寂れた街で孤高のような強い存在感を放っていた。自らの評価を安易に社会に求めず、自身を強く確信し肯定しなければたどり着けない極致に自らをおいているがゆえに。彼自身の目でいくつかの建物を買い取り、歴史や場所の特徴を活かしアートのための空間にレストアしていく。そして廃墟と隣り合わせに野性的な空間が現れる。その緊張感にスリリングな強い魅力を感じ取り、いつかもう一度訪ねてみたいと思った。

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しかしその数年の間に、街の様子が少し変わっていることに驚いた。
たしかに相変わらず、地元の人の車であろう、ムスタングやマーキュリーといった懐かしい車がタイムスリップしたかのように、おそろしくゆっくりしたスピードで行き交う。
しかし一方で、かつての古ぼけた空きビルにはアートと建築専門の本屋やカフェが並び、都会顔負けの味とインテリアのレストランが出来ている。かつてここで夜遅く食事とお酒を求めるには、たった一軒の古びたバーしかなかった。キッチンにぽつんと立っている初老のおばさんに僕らがジャッドのことをどう思うか尋ねると、彼女は静かに応えた。
「彼はニューヨークから来た人だからね。」今はそのおばさんも亡くなり、JOEという男に引き継がれていた。
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その発展ぶりは、Chinatiに来た観光客をあてがった消費カルチャーの浸透とも 言えるかもしれない。しかし、それにしても他のアメリカの多くのダウンタウンがゴースト化し、かわりに郊外のショッピングモールのような生活実感のない偽造の街が増殖していることなどに比べて、Marfaのように生活の中にアートが同居して既存の空間の魅力を引き出し、街に人が集まるような事例は、今日のアメリカではとてもレアなケースだろう。ジャッドがそんなことを決して意図しなかったとしても。
だがそのせいだろう、街の中にあるいくつかの彼の手がけた空間は代償として、以前のような孤高の野性的な生命力を失っていく。今後、周りの変貌にのみこまれて、結局、ツーリズムの陳列品になるのか、それとも独自の強度を保ちつづけるのか・・・ 今の時点では行く先をもうすこし見守る必要があるだろう。

デジタル・アーキテクト

昨日はGSD(建築、アーバンデザイン、ランドスケープ、ドクターコース)の留学生が一同に集まり顔見世となった。全学生数の1/3が留学生とのことで、一見国籍もさまざま。しかしカナダを除けば、EUからはギリシャやスペインなどの周縁から来た学生が目立つ。東欧は皆無。アジアでは韓国人が最も多く、次に台湾。日本は見たところ7人程度だった。中国も日本とほぼ同じくらいだが、建築よりもアーバンデザイン関係が多いようにうかがえた。各国の経済状況やアメリカとの関係を反映しているのだろう。シリアから来た建築コースの学生からいきなりCGのソフトは何を使うのか?と聞かれて戸惑ったが、実作も特にない中でCGの表現能力がなによりウェートを占めていくというのはいまどきの典型的な事象なのだろう。
隣のMITではコンピュータに傾倒する傾向はさらに強く、今度はそうしたデジタル・アーキテクトを集めて大規模なカンファレンスをする。講演者はデコイ、グレッグ・リン、NOX、アシンプート等、その分野ではおなじみの建築家のメンバー。スポンサーはベントレー(Micro Stationでおなじみ)。このMITイベントのサイトはここ
ただ、こうした傾向はひとつのトレンドで、PCを使ってにぎにぎしくやっているけれども、結局展覧会なんかで自給自足してスペクタクルを繰り返し、消費し尽くしたあとは何も残らないのないかもしれない。たしかにポンピドーセンター最上階のレストランはそうしたデザインの成功例といえるのだが、それも商業インテリアという性格ということを思うと無条件に肯定するのは難しい。
ともあれ、入場無料なので何をしているのか、時間あればちょっと覗いてみるつもり。興味深いものであればまた報告しよう。

Judd Tour: テキサスドライブ編/The Chinati Foundation (1)

汗一つかかなかった冷夏のボストンを過ごしたアジア系友人3人と、大学開講前に暑い夏を求めてどこか行こうという話になった。
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向かう先はテキサス。車を借りて荒野を走り、とにかくどこかそのあたりでテキーラを飲もうという、とても安直な計画が進んでいった。まずDallas空港から車でメキシコ国境近くの街、MarfaのChinati Foundaitonに向かい、その後、建築学生の「お約束」として、建築をみるべくSan Antonioにあるリカルド・レゴレッタの市立図書館、そしてDallas=Fort Worthのキンベル美術館と近代美術館、レンゾ・ピアノのNasher Sculpture Centerなどに寄ろう、という話でまとまる。
Chinati foundationとは美術家Donald Judd(1928-1994)が開設した現代アートの財団で、もともとメキシコとの国境をにらむアメリカ軍の前線基地だった。その建物群を彼が1979年から購入し改修を手がけ、現代美術のための前線基地に換えている。広大な敷地にはジャッド自身の作品のほかにも彼の友人の著名美術家が寄贈した作品が収蔵されて、現在も拡張を続けている。さらに彼の住居兼アトリエも生前のままの状態で残され、訪ねることが出来る。
ダラス空港からレンタカーに乗り、まずは一路Marfaまで合計10時間のドライブを敢行。早くも我々の楽天的な予想を遙かに上回る時間のドライブになった。ハイウェイを降りて人気のない一本道をひた走る。ヘッドライト以外に頼るものがない路上で突然、日本から携帯電話に2件も電話を受け(うち一つは銀行)、とても不思議な距離感を味わう。
しかしやがてそれも音信不通になる。電波の及ばない境界線を越えたのだろう。人気のない街に到着したのは深夜1時。あてにしていた安宿はとうの昔に倒産し、街外れの荒野に面したモーテルRita Inn(一部屋:2Wで約$60)でようやくベッドにありつく。 ・・・とは言っても、信号はたった一つしかない街から車で5分もすればそこは人のいない場所になってしまう。

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ここで少しジャッドのこの場所での活動する経緯を思い起こしてみる。
ジャッドは1960年代からニューヨークでアーティストとしてプライマリーな形態のオブジェを発表し続けていた。作品が3次元だということは現実の空間を占め、つまり定義されかつオープンな空間を占めるということであり、オブジェそのものだけでなく、作品を取り巻く空間との関係が非常に作品の質を作用する。しかし、多くのインスタレーションや作品の取り扱い方が作家の意図にそぐわず不適切で、そのため彼は作品を作家の意図に忠実に見せたいと考えた。彼は次のように書いている。
「どこかに現代美術の一部は芸術とその文脈の意図するとおりに存在すべきである。ちょうどプラチナ・イリジウム製のメートル原器が巻き尺での測定の誤差を補正するように、この時代と場所の芸術のための厳格な基準がいる。」

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そこで彼は作品をその周囲の空間と無関係に白い箱形空間に陳列されることに異をとなえ、そしてアートと生活と仕事が現実の空間の中で相互に働きかける場を自分で作るようになった。
それは普通の美術館ではほとんど運営上不可能な、少数の作家による大きな作品がそれぞれのための独自の場を与えられることだった。しかもそれは、恒久的にインスタレーションされる。
こうした恒久展示の考えは、たとえば磯崎新氏が93年頃日本の岡山県の内陸部に位置する奈義町に恒久展示を前提にした奈義美術館の構想にも影響を与えているだろう。(そういえば、この地にも自衛隊基地があるのはそうした発想の引き金になったのかもしれない。)
そしてその後、多くの美術館やギャラリーが彼のアプローチに影響されることになる。例えばニューヨークにあるDIAアート・センターはチェルシー地区の古い工場を改修している。そしてロンドンのテイト・ギャラリーはかつての発電所を美術館に改修している。美術家にとって何故新築の美術館よりも古い建物の方がいいのか議論すると複雑になってしまうが、現代の建築に対する不信感があるという。少なくとも多くのアーティストはそう考えている。テイト・ギャラリーが拡張計画を決める際にアーティストに、どんなタイプのスペースに自分の作品を展示して欲しいと思うか意見を聞いたところ、大半のアーティストがこういったタイプの既存の建物がいいと答えたという。

自転車(テスト投稿)

今日は自転車に乗って買い物三昧でした。往復10キロ近く走るとさすがに汗かくね。緑とレンガのコントラストが実に心地よくできてて、ボストンってきれいな町だなあと改めて関心。ひねくれ者の私目にはその生暖かさが今日の世界の縮図になりうるようなリアリティを著しく欠いている気がして、今ひとつ惚れ込めないのだけど。
こうして自転車に乗ってみると、コンパクトなデジカメがあればナアと感じた。
イオスは携帯するには少しかさばるサイズ。pallalinkにリンクしてるウェブ写真家はどんなカメラを使っているのだろう?