Jacques Herzog Lecture (前編)

perfume

建築家Jacques Herzogの講演がGSDで行われた。(写真はこちらを参照)まず講演前にGSD Architecture Program のチェアマンを務めるToshiko Moriさんのイントロダクションから。意外なことに、30年ほど前から彼らは互いを知っている。その当時Jacques HerzogはチューリヒのETHで教師Aldo Rossiの下でThesis(論文)を作成中の学生、つまり直接の門下生だったという。Toshikoさんと彼らH & de MはNYではじめて知り合って以来縁があり、ここGSDでもこれまで数年協働しているという。


さて、彼は講演にあたって、タイトル”Two Stadiums, two Museums, a Philharmonic Hall and a few other things”とあるように、大規模なスケールの最近の建築プロジェクトを5つ、そしてa few things つまり現在ロッテルダムのNAIで展示されている個展や中国で作られた彫刻的パヴィリオンなどについて、それぞれの製作プロセスなどについて語った。大規模なプロジェクトは以下の5つ:
・The Allianz Arena, a new Soccer Stadium for Munich (projected completion 2005, Opening Game Soccer World Championship 2006)
・The National Stadium for the 2008 Olympic Games in Beijing (ground breaking ceremony 24 December 2003)
・The Expansion of the Walker Art Center in Minneapolis (projected completion 2005)
・The New de Young Museum in San Francisco (projected completion 2005)
・The Hanover Philharmonic Hall
まず手始めにはNAI(オランダ建築協会)の展示について語る。そのなかでも特に彼が重点をおいて語ったのが砂糖で出来たオブジェと自作の香水だった。

perfume display

香水”Rotterdam”はライン川, hash, dog, fur, algae そしてmandarinから匂いを抽出したものである。香水については以前1月に彼がGSDに論文の打ち合わせに来たときにも聞いた事がある。彼はファッションデザイナーが香水を作りように、建築家が香水をつくることだって出来るのだと強調する。彼にとって香水は写真と同様に、その匂いによって都市の記憶やリアルな感覚を伝えることが出来る。それは彼らにとって建築をつくる行為に極めて近いものがある。建築は匂いに強い関係を持ち、匂いは空間的にも感情的にも強く人に働きかける。そうした都市に宿る独自の匂い、つまりエッセンスをどう物象化していくのか、そしてそれがどうやって都市に投げ返され伝播されていくのかということはひとつの建築的営為である。建築には機能や構造が不可欠なのだが、同時にそれがどう機能するかということが重要である。香水は空間の記憶を喚起させ、どんな場所なのかを物語る。そしてその場所の特異性を浮き彫りにする。盲目の旅人が見知らぬ街を訪れたとき、匂いはそこがどんな街なのかを告げる・・・
さらにそれが香水という携帯そして反復可能で、かつプレステージをかもし出す商品は皮肉としても建築、そして建築家の今後をほのめかしている。

sugarscape

砂糖とチョコレートのオブジェについて・・・彼らの昔からのクライアントであるリコラ社の協力を得て実現したこの作品は、キャストしたオブジェやつららのように重力にしたがって垂れ下がったオブジェクトを上下反転したオブジェなどが展示されている。
かつて自分も同じようにチョコレートを使って壁面を造るインスタレーションをしたことがある。建築的スケールになったときにチョコレートの存在感は普段とは違い、微妙な匂いや可塑性が顕在化される。ロッテルダムでも甘い匂いが観客を刺激して触りたくなったり、食べたくなったりする人もいるようだが(実際は食べられない)、彼らにとって五感を刺激するマテリアルの可能性の探求をチャーミングに展開したもので、また五感をとおして記憶や場所といった公共的な関係を結ぶ実験でもある。こうしたアプローチは過去の建築史よりもむしろアートの文脈で見たほうが理解しやすく、彼らの師ヨーゼフ・ボイス(Josef Beuys)の蜜蝋のオブジェクトや同世代の作家ヴォルフガング・ライプの花粉の展示作品のようだった。二人とも個人的に大好きな作家なので(特にここのボイスの作品は必見)ちょっとバイアスがかかってしまうかもしれないけれど、彼らアーティストの作品は砂糖や花粉は物質・生命活動の中間的な段階に位置する存在で、永久に近い年月を生き抜き未来へ生命を運ぶために時間を固形化させている故の沈黙だとも言える。物質にやどる力を時にバイタルに、そして時に静かな終焉でもあり、始まりでもあるような不思議な空間/カタルシスが創出されている。そんな物質に宿る可塑性を創造する感性が彼らの魅力でもある。H& de Mの展示は実際見ていないので言い切れないけど、そうしたオーラを放っているのかもしれない。

brick pavilion

次のスライドでは中国で実現された小規模のパヴィリオンのプロジェクト。
ここでは地元のマテリアル、そして文化的な背景をモティーフとしたオブジェクトをつくることに主眼がおかれたという。2つのパヴィリオンのうち、ひとつはレンガのパヴィリオン、もうひとつは木を積層して作られたタワーのオブジェ。レンガのほうは小さなレンガ板を積み上げるという構法を利用して、レンガをずらして積み上げ開口や全体の造形を自由なかたちにしている。

wood tower

もう一方は蘇州伝統の石庭の美しい造形と迷宮のようなシークエンスにインスピレーションを得て、直方体のムクの木から螺旋形の形状を削りだして強度を確保した造形にしている。これはひとつのランドスケープデザインでもあり、フォリーを上ると、開発の進むアーバンエリアを見ることが出来る。伝統的なレンガを用いた新たな構法とヒューマンスケールの空間デザインはコンクリートを用いて進められる大規模な開発に対する抵抗でもある。
こうしたマテリアルとコンテクストの関係を話した上で、話は一気に大きなスケールに移る。2つのスタジアムではともに都市的なスケールをもつアイコンとしてどう人々をひきつけるのか、そして周辺にどのような公共的なインパクトを与え、将来の都市的環境を誘発するかが語られた。
Allianz Arena
特定のファサードをもたない巨大なオブジェクト/スタジアムというタイプは、必然的に周辺の環境との接続性が問題となる。ところがスタジアムは通常、大スパンの構造技術の「勝利」を表現することにとらわれがちである。しかし実はそれは建築内部の同語反復にすぎない。多くの人々がそこに集まるエモーションをかきたてる都市的造形をどう導くのか、そしてそこに向かう人の流れ、環境を有機的な空間的体験として創造し都市に接続することが課題となる。駅舎やエッフェル塔のようなモニュメントがそうであるように。ただし、歴史的事実はヘルツォークの意識とは少しずれも含み、19世紀の駅舎もエッフェル塔も、建築家でなくエンジニアがデザインしたことは皮肉なことではあるのだが・・・ただマイヨールの橋もそうだったように、美しい技術的造型はかならずしも技術的な解析によって成り立ったのではなく、類推によって生み出されていることがある。すぐれた類推と技術の葛藤は新しい造型を導く。
Allianz Arena
ミュンヘンのAllianz Arenaプロジェクトではハイウェイで市街に向かうその途中にあり、非常に目に付きやすい場所にある。ここではチームカラーにあわせて外壁に取り付けられたパネルの色彩が青や赤、白にライトアップされる。これはスタジアム内部の熱気を外部の環境に発信することが求められ、その灯台のような発光体に向かって流れるようなシェイプをした公園が駅舎に接続される。ストラクチャーとシェイプは劇場のような空間体験をスタジアム内部にもたらし、観衆に一体感をもよおすランドスケープを創出する。
北京のスタジアムのプロジェクトは北京市内でも重要な位置にあり、既存の市街地に与えるインパクトは大きい。実際、中国から留学してきた友人によれば、めまぐるしく古いヒューマンスケールの街区が撤去され、それまでの生活とは無縁のマンションやオフィス、競技場が立ちはだかる。そのような切断された環境の中で都市をどう有機的に再編するのかは深刻な課題だという。
Beijin stadium
北京のオリンピック・スタジアムでは中国のアーティスト(氏名は忘れた)とコラボレーションをして形態を決定している。細い線材が編み込まれた籠のような造型は、巨大なスタジアムをやわらかく包み、そして内部の出来事、光、音、熱気を周囲の環境に浸透させていくことがもくろまれている。編み込まれた構造体の屋根は既存のマッシブな構造体よりもさらに空に向かって開放的なものになるという。

section

ただし、このプロジェクトは工事が開始されたにも関わらず、いまだに構造的な解決も建設方法も解決されておらず、深刻な状況にあるようだ。ジャック自身、まだ自分たちは努力を続けているところだと説明していたが、立ち上がる壁の部分から急に垂れ下がる屋根の部分への折れ曲がりはどうみても構造的に無理がある。通常は屋根が上昇してアーチを組むはずなのだが、ここでは逆に屋根が垂れ下がることで屋根の過重が壁面に流れず、キャンチレバーのようになってしまう。そのうえ不均質な線材の構造体を合理的に整理していくことは並大抵ではない。こうした構造的問題は建設方法に直結する。一つ一つ無限に異なるジョイント部分をどうするか(仙台メディアテークのようにすべての鉄骨を全溶接?だが溶接は鉄骨を歪ませる。中国の施工技術でさらに複雑な施工精度をこなせるか)。しかもそれぞれのディテールを考えていかなければならないとなると、もはや通常の労力では収まりきらない。現在パネルのモデュール化を進めるなど対策が進められているそうだが、おそるべき超短工期でそれをどうクリアーしていくのか、問題は山積みである。構造的な不合理さは佐々木睦朗さんがGA Japan#73でそれみたことか、と指摘していたとおりである。それにしても屋根断面図のトラスは籠という造型ルールに矛盾してオーディナリーすぎないか。このあたり、どんな経緯があったのかは推して知るべし・・・。

Landscape in Beijin stadium

とはいえ、そのオブジェクト自体の魅力がそれによって損なわれる気は全くしない。パースにしめされたように周辺のランドスケープデザインと一体化した籠の皮膜は、この建築が孤立したオブジェというよりも都市的に連続した環境として期待が持てる。籠から根のように周囲に広がるランドスケープのパターン。これは中国人民に特有の広場で歌い、踊る特性にも適うヒューマンなスケールをもつと言う。広場からはスタジアムの全容は意図的に植栽で隠され、見え隠れする庭園の構造はかつてこの敷地にも存在した伝統的な中国の庭園手法に依拠している。
ローマ時代のコロッセウムが時代の変遷の中で住宅や教会、市場などのさまざまな機能に応用されていったように、かごの隙間から醸し出されるスタジアム内部のヴォイドスペースは、都市に柔軟に連続しうつろう空間として生きる。伝統的な壁にかこまれた空間のタイポロジーを翻案し、こうした見えざる価値を通して人々は都市をアイデンティファイしていく、彼が死んだ後も・・・それが彼のヴィジョンなのだ。
Effel Tower

14年前