TASTE IS WASTE

map around LA
先週に書いたように、GSDでLoophole(銃眼)なる建築シンポジウムが二日間にわたって開かれた。どのレクチャーも含蓄の深いものだったが、そのなかで特に個人的に興味を引いた講義のひとつは、Jeffery Inaba氏の”Taste is Waste”だった。それを書き留めておこうと思う。
Inaba氏はGSDでレム・コールハースのデザインスタジオで教鞭をとっている。彼の専業は建築家でなくNYで建築シンクタンクAMOの協働設立者でフロントマンである。レムがGSDで世界のアーバンリサーチに着手して以来、GSDドクターコースを修了した彼はその責任者として抜擢され、「コンパクトシティ」「ジェネリックシティ」などの新しい都市論をレムとともに展開してきたのはよく知られている。現在はPhdのポジションで変わらずレムのブレインとして活動しているそうだが、そういえばボストンに来て以来、彼の講演は今回が初めてだ。

a headquarter

さてシンポジウムの主題「時間と空間の関係の変化は、今後建築家や計画家にどのような活動領域を求めるのか」に対する彼の応えは”Taste is Waste”と題されたロサンゼルス郊外のある住宅都市のリサーチだった。
郊外都市The San Fernando Valleyはここ数年、アメリカに典型的なベッドタウンの従属的役割から脱却し、まったく新しい都市の姿を見せ始めている。大都市ロスから行政的にも経済的にも独立した、この低密度都市を紹介し、この種の郊外都市にどんな異変がおきているのかを語った。
Valleyは一見したところ、低層の住宅が立ち並ぶ均質な住宅街である。ところがそれはこの街独自の文化、産業をカモフラージュする擬態なのだという。その実態を探るために、彼はHarvard Design School ならぬ架空の大学(Valley Design School)をでっち上げ(私設し?—ここで観衆は爆笑) この街のリサーチに乗り出す。よそ者でなく、地元の大学からの調査と語ると住民も擬態を解いて調査にスムーズに応じてくれたとか・・・。

road sign

このあたり、どこまで冗談なのかわからないが(実際は彼が教えるSCIArcで取り組んだのかもしれない)、話のそこかしこに観客の歓心をくすぐる挑発と笑いを引きだし、シリアスな反発を招くことなく大胆な結論に導くところが彼の真骨頂だろう。
調査の結果はなかなか面白い。
ところで戦後アメリカの郊外風景を無計画に蝕んでいった「スプロール現象」のさきがけとして不名誉を被っている。たしかにこの都市の景観の特徴とは、しいて言えば建築家不在の無個性で均質な住宅の連なりだといえるだろう。街割りも単純明快で、番地のナンバーが高くなるにつれて住人のステータスも高くなるように設定されている。
だが実は多くの都市研究家が記述するような郊外都市とはまったく違った姿がここにはある。フラットな住宅街の仮面の背後には多様な産業や都市的な特徴が埋め込まれていて、それを理解しない都市計画は無用の長物となるという・・・。

Mansons lived less than 2 miles  from on  another.  Bed room communities make for strange bedfellows.

なぜそうなのか?まずこの街の隠された内面を歴史から見てみよう。平凡な住宅都市Valleyは、実は国際政治にも関係した歴史をもつ。1959にはソビエトのNikita Khrushchevがこの地の大規模な住宅産業を視察訪問する。大いに感化された彼は帰国後ソビエトに同じような大規模な住宅としの計画を進め、ソビエトの国土に「ユートピア」を築くべくスプロール化を進める。だが実はその背後でここでは冷戦の緊張化に応じて兵器産業がこっそり成長していた(後述)。そうとも知らぬ(あるいは知らぬフリをした)Khrushchevは映画会社のValleyにあったParamount studioの撮影所をたずね、Frank Sinatra and Shirley MacLaineに面会する。

Valley film company

平凡な住宅の屋根の下で、何がおこなわれているのか? なるほValleyは一見、ホモジニアスな郊外住宅地である。かつ住民の大半は白人である。LAでは白人は今や少数派なのに対して、これはまったく逆である。だがその水面下では、ヒスパニックやアジア系の住民が急激に増加してきているという。
他にもたとえばこうした意外な側面をもっている・・・
1)ポルノ産業の一大拠点。今や全米でポルノはプロ・スポーツ番組よりも収益の大きな産業である。したがってあまり有名でない俳優も多く住む。
2)合衆国で一番大きな固形ごみ処理場を所有している。
3)映画ETや「猿の惑星」の舞台にもなった。

schwaltz

“Waste”とさげすまれる産業の一方で、ここではさまざまなカルチャーを発信してきた。たとえばここValleyはボディービルディングやTae Boと呼ばれる空手とダンスを混合したスポーツの発祥地である。フィットネス文化はLAが発祥地と思われがちだが、実はここで生まれている。
なかでも、ボディービルの創立者Joe Weiderはフィットネスを、メディア産業をとおして強くプロモートするため、現カルフォルニア州知事で元俳優のアーノルド・シュワルツネガーをアメリカに招き、彼のキャリアをスタートさせた。ジェーン・フォンダもまたここに最初のエアロビクススタジオを開いている。さらにValleyには世界的に有名なサーファーも住む(1時間以上かけてマリブ・ビーチに通う)など、このサバービア(郊外)はLAのサブ・カルチャーをハイ・カルチャーへと後押ししてきた。

Valley night view / not LA

近代建築批評家のレイナー・バンハムは、LAのフラットな地理的特質はLAの精力的な文化的更新に貢献してきたというが、それはValleyで真に実現されたといえる。彼はThe Architecture of Four Ecologiesでこう述べる。
“The world’s image of Los Angeles is of an endless plain endlessly gridded with endless streets… in terms of some of the most basic and unlovely but vital drives of the urban psychology of Los Angeles, the flat plains are indeed the heartlands of the City’s Id. These … flatlands are where the crudest urban lusts and most fundamental aspirations are created, manipulated and, with luck, satisfied.”
Valleyそして南部カルフォルニアは20世紀の前衛建築家が他では実現できなかった実験的なプロジェクトの収蔵庫だといえる。それは強力な市の誘導によるものというよりも、そこで派生する束縛が希薄なスカスカの空間の中で達成された。
そうした姿勢を端的に建築に表現しているのが「アーバン・カモフラージュ」である。第二次世界大戦中、ここValleyには飛行機の部品工場などがあったが、建物の屋根に防水シートをかけ、そこに戸建て住宅やグリッド状の道路パターンをペンキで描いて偽装し、日本からの爆撃に備えたという。ここでも住宅都市という都市全体のイメージが仮面として利用され、内部の実態を巧妙に隠蔽していた。

Neutra House

今日ではほんとうの戸建て住宅がアブノーマルな内部の活動をカモフラージュしている。そうしたValleyの企業は意図的にパブリック・スペースを設けず、住居内部の「プライバシー」を確保する。たとえばポルノ産業はその典型で、住宅街の表層的なイメージと内部の均衡をいかにたやすくこの街が維持しているのかを物語っている。
したがってValleyをはじめとするLA郊外はあからさまに建築を忌避してきた。たとえばLAモダンスタイルの建築をリードしたリチャード・ノイトラの白く瀟洒な住宅は今では撤去され、端正なビルは外装をごく陳腐なデザインに大幅に改装された(あまりのキッチュさにどっと観衆が笑う)。ラスベガスの看板建築に習い、外装と内部の機能のズレを肯定したヴェンチューリ夫妻のデザインすら、その「デザイン」ゆえに拒否された。場所こそ違うが、おなじく郊外に計画され、大胆なプログラムを建築表現したレムの「ユニバーサルスタジオ本社」もまた、実現されることはなかった。それらはあたかも郊外都市がごく平凡な「カモフラージュ」が放つオーラを保持する意思をもっているかのようである。

a surfer

日本では住宅が住宅でなくなるには、住宅以外の要素、とくに労働を空間に取り込むことが必要になると語られる。職住一体化し、社会化されることで都市の多様な活動に参加すること。我々が住み慣れた都市、旅した都市を振り返れば、これには大いに共感できる。しかしここでは逆に住宅であることがすでに住宅でない内部を保持している。均質な表層が内部の多様性の温床となっている。しかしそれが実際の都市空間にははっきりと現れす、見えないネットワークを形成する。
残念ながら、仮面の背後で内部の空間がどのようになっているのかはここで公開されなかったので、何かを自分でさらに調べない限り、それ以上に突っこんだ話を進めることはできない。そもそも、こうした事業がなぜLAでなくValleyで行われるのか、その要因たる事業主からの視点を憶測以上にとらえることができなかったのも、少々ストレスに感じるところではある。

Porn flyer

ここでの論点ではないとはいえ、たとえば車の移動が必然となる低密度都市で、高齢化する居住者層はどのように生活するのかとうことを考えれば、こうした都市を楽観的に賞賛するのも軽率である。日本の大都市圏でもその問題と取り組みは表われている。 日本でも郊外に老人ホームが最近しばしば建設されているのもまんざらでない。もちろんInaba氏は決してこうした事象を賞賛するでもなく否定するでもなく、どちらかの一方的な判定が難しい状況の中である都市の動態を見極め、リアルな建築と計画の型へのフィードバックを求めているのだろう。
ともあれ実際、Valleyの89%は住宅地にも関わらず、他の合衆国内の都市に経済的に拮抗しているという。第二次世界大戦の頃にうみだされたカモフラージュという技法は商業的な生産体制に展開され、さまざまな形のヴェンチャー企業の創出に貢献している。直接的なターゲットとなる市場がこの都市に住む住民でない以上、ここでは建築内部のプログラムが建築の形態(家)とずれをはらみながら純粋に機能し、オフィスビルやコマーシャルビルなどといった内部の活動を外部に顕現する建築タイプは棄却される。フラットでどこまでもつづく均質なグリッドの街割は都市の物理的中心や境界とは無関係にある独自のリアリズムを体現している。

areal view

Kling, Olin, and Poster (Postsuburban California: The Transformation of Postwar Orange County, California, University of California Press, 1991) によれば、 ‘post-suburb’という言葉を掲げ、1960年代に生まれた素朴な郊外文化は、いま高度に洗練されてきているという。彼ら新しい文化創造者がかつての郊外居住者とちがうのは、互いを結ぶ商業的かつ文化的ネットワークがいくつも点在し、その中で新しいカルチャーを生み出していることにある。これまでのコンパクトな高密度都市とは違い、低密度でホモジニアスな郊外環境の中で独自の都市的相貌が生まれてきているといえるだろう。Kling, Olin, and Posterにとって、いまや郊外は「コスモポリタン」になりつつあり、既存の都市のダイナミズムと文化的発展に拮抗してきたという。
だがInaba氏にとってこの郊外都市がいっそう魅力的なのは、この都市が社会的な流行やテイストの表現を過度なものとして抵抗し、驚くほど純粋にプログラムに基づいた空間環境をつくったということにある。それにもかかわらず、Valleyはぼかしを加えたり、ランダムな方法をとることでLAの文化に強い影響を与えているということである。

suburbia in china

このような都市的状況はLAに限ったことではない。シリコンバレーをはじめとする、全米トップ10に入る「最も住み心地のよい場所」はすべてその賜物である。
たとえば中国郊外ではこうした巨大なアメリカ郊外都市がそのままイミテーションされたかたちで建設されている。ここで住宅の形はアメリカの生活をイメージしたパッケージとして消費され、住宅フェアの女性モデルの頭上にさんぜんと輝く。その欲望は開発のアクセルを一気に踏み込み、風景を一夜にして一変させる。ここではスプロール化はほとんど正当な開発手段/プロパガンダとなる。
プログラムと建築・都市の表現が乖離した状況の中で、今後建築家・計画家はどのようなスタンスをとることになるのか?表現・計画の手がかりをどこに求めるか?考えてみれば、LAもサンフランシスコも20世紀の重厚長大な生産をバックグランドにして発展した都市だったが、現在のような情報産業をバックグランドに極端にモノも空間もデータに置き換えていったとき、そうした都市が生まれてくるのかもしれない。amazon.comのように、インターネットを使い店舗という空間を「脱皮」した産業形態では、残る空間、つまりロジスティクス(運送)の問題を考えると都心に立地する必要はない。
今後もInaba氏はNYやLAといった伝統的に文化的中心を担ってきた都市周辺に発生している郊外都市の文化的・社会的状況の可能性を見極めるよう、建築・都市計画の視野からリサーチを進めていくという。
—For them, sprawl is almost O.K, but taste is waste.
Jeffery Inaba
taste is waste

14年前