In Santa Cruz :風景の裏側

rainbow over the hotel

虹がホテルの屋根にかかる翌朝9時、ピエールがホテルに到着。ジャックはマドリッドのコンペにプレゼン後、カナリア諸島のランザロッテ島に滞在しているが、空港閉鎖で動けないという。島どうしを結ぶ交通網全域が麻痺しているようだピエールが先導して会場の建築会館Colegio de Arquitectosに向かって坂を下る。フランコ将軍の通りに並ぶその建物は1960年代後期ブルータリズム・スタイルの、打ち放しコンクリートの壁面構成が内外にいきわたって陰影を刻んでいる。丹精でかっこいい建物だ。しかしここもやはり停電で会場は機能していないという。
探し回った結果、我々のホテルの向かいの老舗、シェラトンホテルのパーティールーム(!)を借りることになった。唯一、シェラトンホテルだけは自家発電をもち健在だ。
静謐な中庭を囲む廊下に古地図やフランコ将軍の肖像画が飾られている。中庭からパーティールームに入るとコロニアルな調度品の上にシャンデリアが吊るされ豪華な雰囲気を醸し出している。ダンスパーティにはちょうどいいだろう。Shall we dance?


この日、空港の閉鎖で欠席したGran Canaria島のETHチームを除き、Tenerife島のリサーチをしてきたチームが順番に発表していった。彼らの友人でもある地元の建築家も2人ほど登場。名前は残念ながら失念してしまったが、紹介によると、そのうちの一人はNYのMOMAで2月からの企画展示On-Site: New Architecture in Spainにも出展する。もともとカナリア諸島ではLuis Cabreraという建築家がコンクリートの大胆な構造表現でモダンな建築スタイルを先導していったことは知られているが、その後継者たちは今もエキゾチズムに媚びない建築を貫いている。この建物を設計したのも Cabreraである(1966-68)。作品集に寄せられたジャックのプロローグによれば、愛好する彼はLuis Cabreraの住宅作品を買おうかと思ったこともあるという。ここの建築協会はメディア活動もとても活発で、他にも多数の建築書や写真集の出版、展示会などを手広く企画している。
tenerife
テネリフェ島は3つほどの地域に分けることが出来る。ひとつは北部の大都市santa cruzと隣接する大学都市La Lagunaを含む都会的な地域。そして島南部の毎日晴天に恵まれたビーチをもち、70年代以降急激に観光開発されたエリア。そして最後に西岸。征服当時から開かれたコロニアルな都市とビーチをもつ60年代頃観光のピークを迎えたエリア。ETHのメンバーはそれぞれ特色ある地域に派遣され、そのレポートを語った。
ETHのレポート、とくに現地の人へのインタビューはかなり面白い。真実とうわさの間を行きかい、そのエリアに流布して、そのイメージや生活に作用する生の情報として、オフィシャルな統計には現れない潜在性をほのめかしている。
急成長しつつある小リゾート地が実はもともと違法な開発から生まれたもので、それが既成事実化されて拡張してしまったケース。そこを設計した建築家は今では名の知れた建築家でもあると地元の建築家がすかさず突っ込みを入れるからさらに面白い。そしてまた、アフリカからの不法労働者やEUから移住してきた人たち画家たるこれまでの生活。若い頃から数年ごとに訪ねた古いリゾート地で老後を過ごすために移ってきた老夫婦たち。葬式も墓まもこの島に予約してあるという。コンドミニアムが老人ホーム化し、それを多く抱える街全体が高齢化しつつある…学生という身分を利用した彼女たちのあっけらかんとして明るいインタビュー。その内容は、「そういうことだったのか」とこれまで気づかなかったデータどうし因果関係を示してくれる。

View of the wescoast tenerife

途中、休憩を入れようと追いピエールが提案。地元のスペインの建築家の勧めで近くのレストランでランチを取る。徹夜明けのワインとフォアグラの組み合わせはうまい。しかし・・・スペイン語圏では1時から4時ごろまではシエスタといって休息の時間に当てられる。したがってランチタイムも非常に長い。2時間たってもぜんぜんコースが終わらないランチに耐えかねたピエールは店を出て行ってしまった。稼働中のプロジェクトが気になるようだ。携帯で指示を出しながら勘定を済ませる。それ以後昼食はレストランでとらないことが暗黙の了解になった(笑)。
午後のセッション中、GSD5人の発表がそこで始まるまさにそのとき、ジャックも登場。ピエールの穏やかな場の雰囲気に、すきま風のような緊張感がさっと入り込む。僕は最後の順番だったので、お手並み拝見とまず仲間の発表を聞いていく。11月の発表からすぐに現地に来たこともあって、基本的な内容のベースは同じにして、そこに現地ロケした写真を付けているようだ。しかしそれだけに、今までの抽象的な調査内容がどれだけ実際の空間に具体的にからむのか、そしてそれが場所の潜在性を引き出せるのかを見極めるきっかけになっている。その乖離を指摘して方向付けを問うのがジャックとピエールが果たした役目でもある。
どんなに明晰な学生でも、設計が実際どう形になっていくのかを知らないと、その調査が建築実践にどう結ぶのか判断するのは難しい。ジャーナリスティックな情報操作になってしまう場合がある。今回は二人がそれを指摘する場面が目立つ。ETHのリサーチよりも広範な範囲を対象とするGSDでは短期間に移動しつつデータと実際の照合やズレの計測が重要になるが、同じように写真を載せて特異な状況をレポートするだけではものたりないのが泣き所でもある。翌日、調査に見切りをつけられ、方向修正を薦められるメンバーもいた。彼らは「あくまでも君たちのリサーチを破壊したいわけではない。より可能性のありそうな方向に向けたい。」と学生の声を尊重しているが、そこで対等になって交渉する学生もただのガキでない。
Expanding Santa Cruz and La laguna
さて自分の番になると、ジャックから「待ってたぞ。最後の番は一番面白いはずだ。」とありがたい応援をもらう。今回のプレゼンはすごく大雑把に言うと前回の都市周辺の話題から的をしぼって2つの都市の成長の仕方を、経済的な側面、そしてそれにともなって移動する国内外さらに島内部での人口移動とインフラの展開、そこから派生する建築のヴォリュームと地理的変動を交えながら、都市が具体的に一貫した形をもたず、逆にどういった動きをしているのかを見る試み。島南部で吸い込まれた資本が北部の都心にどう集結しているのかも示す。データを寄りいっそう精確にしてあいまいな部分を排除するようジャックからたびたび指示が飛ぶ。もちろん、ただデータを羅列するだけでは済まされず、互いのデータがどう結びつき、それが何を意味するのかをはっきりしなければいけない。一つ一つの項目にジャックとピエールの断続的な鋭い突っ込みと僕のネイティブには及ばない遅い英語のおかげで時間はまたも大幅にオーバーしてしまったが、画面に近寄ってデータとじっと覗き込むジャックから、’very interesting’という一言。 マジかどううかはともかく、まだまだ不十分で不明な部分を探るべきところは多いが、実際に場所を体験して抽象的なデータに具体的なものを感じてきたのも確かでもある。

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ジャックが「いったん建築から離れて状況を精確に見よう」とたびたびチームに呼びかけるのは、唯物論風な建築スタイルに見える彼らの作品からすると一見矛盾しているし、彼の質問はたびたび建築の枠組みでは収まりきらない。島南部の資本をどこの誰がおさえているのか..etc社会的なインパクトが空間をどう変えつつあるのか。建築は種種の力学的関係を物象化した構造体である以上、その存在根拠となる諸関係の潜在力を表現に組み立てることが求められる。ピエールの一言”What makes the world unique ?” はその問いでもあり、彼自身が建築をする動機なのかもしれない。
個人的には以前メモしたことばがここでまた思い浮かぶ。つまり、資本主義というフィクションは、内実はその表層に見える制度的な正当性を通じて作られた植民地主義(内部による外部に対する搾取)であり、表層に見える美学的風景の裏側に立ち入ることによって始めてその存在の本質を知ることができる・・・。
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Anaza, suberb of Santa Cruz

その日のディスカションは結局夜9時前まで続き、僕のプレゼンと質問を交えてようやく終了。その後、二人のなじみらしい、地元のレストランに歩いて移動。
レストランは旧い下街の一角にある。ごく普通のたたずまいの店で、気取りはまったく無い。どこにでもあるカウンター席の後ろを通り抜けて、店の一番奥にある長い木製のテーブルに腰をかけると、ワインがずらりと並んでいるのに気がついた。
適当に席をとると、隣の席にジャックが座る。席に着いて僕と周りの学生に声をかけた後、慣れた感じで、スペイン語で店のマスターに料理の内容をあれこれと話し込んでいる。そしてワイン。ラックに並んだボトルをざっと見回した後、数本を選び試飲する。マスターが彼の席にボトルを持ってくるのを悠長に待って「いかがですか」などと聞かれるよりも、まず自分からボトルのところまで足を向けてそこで試すのが彼の流儀のようだ。やってきたスターターにもまず彼が席を離れ、立ったまま皿を片手につまんでみる。話がますます横道にそれてしまうが、太宰治の「斜陽」の好きなフレーズを思い出した。登場人物の「母」ほど極端でないにせよ、彼の食のいただき方は正式礼法にかなったものではないが、彼が無造作にそうするとよりスマートに見える。少なくとも彼は相当なグルメだろう。彼が選んだワインが美味いのでラベルのメモをする人までいる。島名産の葉巻の煙が舞い、賑やかな食事になった。

Santa Cruz central area

隣の席の彼に話を聞いてみた。建築をする動機とその関心、彼が影響を受けたという人物について、考えることと描くことの関係、といったごく普通の話題から、なぜ運転免許をもたないのかという話題(これはとても良い質問だとほめられた)、青山プラダの排煙区画の話(これはやはり受け流された)などで、いろいろ話をうかがうことが出来た。マドリッドのコンペの結果の話題では皆が耳を傾けて彼らの話を聞く。当選は別の建築家にもっていかれたが、別のプロジェクトをもらえそうだという。
近くに座っていたETHの学生たちは彼らにたびたび会う機会があり、僕らよりずっと気さくに接している。その数人の呼びかけでピエールとスペインの建築家も混じって、僕の周りに座る7,8人でゲームが始まった。ゲームの名前は忘れたが、参加者それぞれの額や眼鏡に付箋を張って、そこに書かれた名前を当てるというゲームだ。本人には何が書かれているのかわからないので、まわりにいろいろ質問して自分の書かれた名前を当てなければならない。そこに何の気兼ねもなくジャックとピエールも参加する。ちなみにスキンヘッドのスペイン建築家は’Jacques’。「俺は有名建築家か?」の問いに、全員が「そうだ!」と応える。
このゲームは二人が参加したことで非常に盛り上がったが、最後はジャックが記念撮影をしようかという。笑顔は人の印象を全く変えるが、このことで僕の二人の印象はまた変わった。GSDで見せるように、厳格で排他的なカリスマ性をもつと同時に、いつの間にか周りを巻き込んでそこに一体感を与える才を不自然さもなく持ち合わせる人はそういるものではない。たしかに笑えるが、笑い事ですまされるものでもない・・・大騒ぎの周りにこちらものらないわけにはいかない。おかげさまでその晩は予想通り、飲みすぎた。
abandoned fisherman's hut
同じ日に、ボストンのGSDではレム・コールハースが久々に登場したと知らせを受ける。UCLA建築学部長でGSDでも現代建築史を教えるシルビア・ラヴィンがホストを務め、レムと公開討論をした。今学期は教えをいただいたPaul Nakazawa氏やJ. Inaba氏といったレムのブレーンを務めた人たちが西海岸に移り、僕自身忙しかったせいなのか、まったく彼の登場のうわさを聞かなかった。突然の登場である。途中、レムの含みのある言葉にシルビアがついていけず、「まあいい、じゃ次にいこう」とレムが進行を誘導したりする場面もあったようだ。シルビアも名の知れた批評家だが、2人の格が違いすぎた、目撃した友人は言う。レムはもう学生の作品には興味が無く、最近の建築批評も全く面白くないと孤高の絶望を明らかにしていたという。
たしかに前衛としての学校の機能も建築批評も、今やほとんど「文化産業化」して、批評の前線から後退しているといわれる。今後もなお批評は実践が自身の位置づけを世界的な広がりから理解する上で不可欠だからこそ、そうした苛立ちが現れるだろうか。個人的には今自分の周りをふりかえると、批評の対象がメタレベルの建築外部の事象から、建築そのものの内部にも波及してデザインの根本原理が更新されるかもしれないと感じることがある。たとえば新しいテクノロジーがもたらす物理的世界では、それが何をもたらすのか断定できず仮説と実験がせめぎあうことがある。そこでは周辺からそれを観るよりも、実際にそれに関わる人の言説のほうがはるかに前線で行動力をもつから刺激的である。目下のところ、実践から距離をとって巨視的な視点から状況を定点観測するよりも、まず実践しつつそれを客体化するような往復関係をもった振り幅の大きい試行錯誤が自分にとってデザインにリアリティがもてる気がする。
レムは間違いなく歴史に残る建築家になるだろう。どこか自身を含めた破壊衝動と創造の、すれすれの均衡を保ち続けるというのはただごとでない。それにしても1世代の差を持つこの両者の共有と違いは何だろうか。

13年前