シュミラクルと構想力

Culture Center Const.site
翌朝9時から早速、2人の親分の好意で、Santa Cruz市街にある彼らの建設現場を訪ねた。


留学して実務から離れると、工事現場が輝いて見えることがある。現場が道中にあるとついそこに視線を向けてしまう。たしかに今籍を置く大学院では、建築の定義そのものを揺さぶるような実験的なものごとに専念するよりも、実践的なことにも力点をおいている。新しいマテリアルやデザインウェアを実際に見て試してみたり、デザイン論、建築家のコンセプトメーキングもここでは学問である。設計をほとんどしたことがない先生がいまだ設計製図を教え、工学的な研究の色彩が強い日本とは違う。それでも不確定要素にまみれながら実験も実践も実際に立ち上がっていく過程に立ち会えるのが現場の魅力である。

model

知る限りでは、彼らはSanta Cruzに3つの実施プロジェクトを抱えている。ひとつはSanta Cruz のウォーターフロント再開発、街の中心であるPlaza de Espaniaの全面改装、そして最後に文化センターの増築で、このプロジェクトが現在ゆっくりと工事を進めている。美術館の別館、図書室など複数の文化施設の機能を複合した、述床面積2万?の、この街としては大規模な文化センター。そこを訪ねた。
Santa Cruzは海に面したPlaza de Espaniaを中心に、扇形に街が広がっている。敷地はそこから歩いても5分程度の距離にある。しかし昨日まですごした街の北側に比べて、こちら側には街に人の気配はとてもすくない。下町がさびれているのだ。それでもところどころで地元の人のためのカフェやタバコ屋から漏れるラジオや子供の声が落ち着いた下町風情を醸し出している。やがて街の誕生以来存在するカトリック教会が現れ、この街の記憶を封印するかのように、歴史的遺物が保存されている。はがれかけたペンキが目立つその石畳の道を歩きながら、ジャックがこのエリアは現在、空港エリアまで結ぶトラムを建設中で、そのときここは一変するだろうという。後でわかったことだが、週末夜このエリアは洒落たカフェが最近出来てスノッブな大人やアートフリークな若者に人気を集めている。なるほど変化の兆候はすでにある。

areal view -site and old cities

敷地は川を挟んでその教会の対岸にある。スペイン語で“バランコ: barranco”と呼ばれるこの枯れた川は、雨季の時のみ川になるが、普段は岩肌と雑草をさらした溝地になっている。バランコの対岸に渡ると街は一転して古風な華麗さを失い、無機質な建物がおもちゃ箱をひっくり返したように散乱している。つまりその敷地は新しい文化戦略の前線として今後この地域の将来を見計らった位置にある。バランコという地理的特徴に分断された街の連続性をどう結ぶかということであり、さらには近い将来新しいターミナルとなるこの地域の具体的なモデルをつくるということだろう。
現場小屋でジャックとピエールからプロジェクトのデザイン、工事の進行状況などの説明を受ける。バランコに並行する細長い敷地形状を活かした細長い建物は既存の美術館とアクセス困難な周辺エリアからのアクセスを巨大なスロープなどで結び、それが建物内部に入り込んでいる。そこから図書室やアートギャラリーなどのさまざまな空間を結び、また再び外部に抜ける。建物内部にこの街特有の外部広場のような公共的スペースを生み出そうとしているようだ。

space with big slope and curtain wall

・・・「ようだ」と言うのは、その全体がまだ見えてこないからである。「ここでは工事が本当にまったく進まない。」とジャックが言う。工事が開始されて3年以上たった今でも、ようやく地下階の躯体(コンクリート造)が打ちあがったありさまだ。1階は壁がようやく出揃った様子で、型枠をはずされたコンクリートがまだ生々しい。2階は部分的に壁と床が打ちあがっている。どうも工期が大幅に遅れているようだ。建物全体の姿をそこから想像することは難しい。しばしば施工技術では世界一とGSDの授業でもいわれる日本の現場のように、工作機の駆動音や職人さんの声が飛び交う戦場のような緊張感もない。短期で工事を進めて人件費を削減して建設コストを抑えるという発想もないようだ。ただ施工の精度は、これくらいの規模の建物を扱う日本の施工会社のレベルには到底追いつかないものの、決して悪くない。つまり原因は工事サイドの故意の怠慢というよりは、風土のような、もっとなにか根本的な体質によるものだろうか。

inner wall

そういえば昨晩、日本の建築の施工レベルはジャックも賞賛していた。たしかに青山プラダには近代建築の清貧の哲学からは全くかけ離れた施工技術の粋が集まっている。その話から、彼は日本人は本当に文化を真似することにかけては天才だという。’真似’をすることから誰も真似を出来ないものを生み出し、本物さえも乗り越えてしまうこと(日本化のような)も独創性なのではないかと反論したが、東京では本物のHerzog&de Meuronを模造して、オリジナルよりもクリーンで本物っぽい建物がたくさんある、そうニヤリと切り返す彼のコメントには失笑してしまった。彼にとってそれらはシュミラクル(simulacre)だということだろう。
「工事の進行が遅れるのは、建築家にとって良いことではない。次々に新しいアイデアが浮かんできてしまう。何をすべきか判断力を維持するのはたやすいことではない」とジャックが語る。限られた時間と条件のなかで集中力をぎりぎりまで高めてベストの判断を下す。それが彼のやりかたということだろう。それは全くその通りだと共感できる。
だからといってこの見学が全く面白くないかというとそうでもない。カナリア諸島では気候が一定して温暖なので、建築には断熱材が不要だという。そのため、ここでは建物内外の仕上げが同じにできる。これは建物内部を外部と同様の性格を与えることが出来ることを言う。そこで現在彼らが注意を払っているのは壁の開口デザインとその素材だった。
mock-ups
現場には素材や開口デザインが異なる壁体のモックアップ(実際の部材・素材を使った原寸大の部分模型)が何体か出来ていた。ここでは大きなガラスの開口は内部の部屋相互の壁や中庭部分への開口に限定され、建物外周は小さな孔が壁にパンチングされている。孔が密集する部分は壁の透明度が高くなり、その逆は不透明になる。特に正面から見た透明感はとても高くなる。壁に厚みがあるため、スキンのような繊細な華麗さはないが、構造と一体化しているため、ルーバーのようなぺらぺらした感覚は受けない。
ディテールも非常にシンプルで、コンクリートにガスケットでハーフミラーガラスをフィックスしているだけである。壁のフラットさを強調するため、ガラスは壁と同一面にされている。日本だったら熱反射率や地震でガラスが割れてしまいそうなリスキーなおさまりだが、ここではノープロブレムということだろうか。

punching windows on the wall

壁体の厚みを利用しポリゴン形態の窓がナーヴ曲線状の窓に変化している(スキニング・サーフェース)。これもCADCAMなどでよく見るデザインだが、実際に施工しているものを見るのは初めてだ。中からそして外から見え方がそれぞれ違って意外と面白い。素材もいろいろな試行錯誤が見て取れる。とはいえ、そのテクニックもここでいきなり空間に全面展開する衝動を抑えて、壁面のディテールに限定して実験するのはズルい。それにしても隣地がバランコという公共空地(そこから山と海にむかう開放的なビューもとれる)にも関わらず、ガラスの代わりに多孔体といえども大きなコンクリート壁で隔てる意図はこの施工時点ではまだ理解できない。壁の開口度もそれほど過激に変化するのでもなく、あまり変化を感じない。
しかしここでの施工技術的な限界として、それがぎりぎりのところなのかもしれない。なぜなら、コンクリートの物理的性格上、もし網目のように開口度を高くすると、コンクリートが型枠の中を十分いきわたらず、きれいな仕上げは非常に困難になるどころか、ジャンカやクラックが生じてしまう。そうなることははじめからわかっていたことではなかったのか。
かつて訪ねたこともある、彼らが設計したミネアポリスのWalker Art Centerでは、前面道路からセットバックした空地に対面するガラス壁のギャラリーはその意味でよく出来ていたが、ここではそういう方法は使われていない。たしかに初期の模型ではそこはガラスになっているから、むしろ建物を壁面/開口という形で分節するよりも、微細化した開口と壁体を不可分に織り込んだ表面で建築全体を包むことを選択したと見るべきかもしれないが、それが周囲の環境とどういった関係をもちうるのか。

from slope

余談とはいえ、しかしこの壁のデザインもまた、日本人がより洗練した方法で真似するだろうなということを、否定する気にもなれない(もう既にしているのかもしれない)。日本だったらわざわざ現場打ちコンクリートは使わないでも、プレキャストコンクリートやGRC、鋼板などで本物以上に繊細なスキンを造ることもできるだろう。しかし一方で、Remのようにオリジナルを本歌取りする強烈なアイロニーもなければ、形式的な記号の戯れに耽る他人指向型の、しかしいっそう美的に洗練された「もののあはれ」と一同感傷にひたるのでは具合が悪い、とういうことだろうか。それなら自身すらも徹底的にアイロニー化して乗り越えてしまえば、その批判も当分先送りできるかもしれないが。
その後、ジャックとピエールの呼びかけでGSDのメンバーと7人でPlaza de Espaniaに戻り、そこのオープンカフェでトラットリアをランチにとる。スペイン内戦を蜂起したフランコ将軍とその犠牲者を祀る記念碑がそびえるこの円形広場はこの街の顔とも言える場所だが、彼らのデザインが勝ち取り、この2月には着工される。
彼らのデザインでは、円形平面の広場の中心点を占める慰霊碑に替わって、そこには何も置かれない。ハーバード大学にあるPeter WalkerのTanner Fountain(1987)やベルリンにあるミハ・ウルマンの「非ドイツ的書物」のメモリアル(1995)を想わせるそのデザインは、円の中心に向かってかすかに傾斜した床面に水(泉)がうっすらと貯められる。そして人のにぎわう夜、その泉はライトアップされて虚空に視覚的ボリュームを現す。水は天気のように常に水位を変化させる。そして時に水は干上がり、広場としての姿を現すという。
フランコの死後、独裁者の例外に漏れず、スペイン各地で彼の記念碑は撤去されていったから、撤去は歴史的必然ともいえるが、そうした場所がその後どう変化していったのか、興味の向くところでもある。かつてのように国家や理念のような強い象徴的な存在をもたない今、その多くが歴史のオーラを霧散して単なるショッピング・スペースに転嫁されることは、たとえば90年代以後のベルリンをみれば明らかでもある。
それに対して歴史的な痕跡を水に置き換え一気に象徴的な表現に高めるのは、たしかにまたずるいが十分首肯できる詩的な力、そして周囲の状況を見据えた構想力がある。

New Port, Santa Cruz

というのも、その広場の向こうにあるドックヤードもまた近い将来、彼らのデザインによって姿を一新される。ではその後はどうか・・・我々のリサーチがその後の何を示すだろうか・・・。

13年前
  1. >建築の定義そのものを揺さぶるような実験的なものごとに専念する
    そういうことを追求している学校はやはりAAやsci-arcなんでしょうか?
    歴史ある学校では難しいのですかね、
    それとも学校内でも色々とわかれるているんですか。
    実は留学に少し興味があるのです・・・・

  2. ごく一般的な応えになってしまいますが、やはり留学先はその人が具体的に何を目的とするかによってかなり違ってくるのではないでしょうか。
    どこにどんな講師がいて、何をどう教えているかを調べるのは、各校のウェブサイトを見ていけば割と明瞭にわかります。その中から興味の持てそうな学校を実際訪ねてみるのはお勧めできます。GSDでも何人か日本から視察に来た人もいましたし、僕も実際いろいろな学校を訪ねて確信できたこともあったので。
    上記の学校は最近のことはよく知りませんが、アメリカ東海岸の学校では例えばコロンビアもプリンストンもMITもGSDも、目的次第でどれも個性があり良い学校だと思います。
    ウェブサイトをリンクします。よろしければ見てください。テクニック的にはprogram, studio,course,facultyなどをまずチェックしてみるのもいいかもしれません。
    以前友人と話したことですが、この多様な世界で自己を他と比較するよりも、少々叩かれても内省的なプライドをもって自己の特異性を発見し発展させることの方が、ここではより多くの可能性を拡げられると思います。がんばってください。
    コロンビア:http://www.arch.columbia.edu/
    プリンストン:http://www.princeton.edu/~soa/
    MIT:http://architecture.mit.edu…
    GSD:http://www.gsd.harvard.edu/…

  3. アドバイスありがとうございます。
    確かに自己なんですよね、与えられることから脱却し、
    いかに求めていけるか、信念を持って。
    若干、やりたいことは見えてはいるんですが
    自己を見つめるのは結構難しいですよね?
    でも頑張ります
    リンクありがとうございます。
    色々と調べてみます。

  4. *余談です。
    ちなみにfacultyサイト上にある、’visiting’ facultyとはスタジオを1学期分のみを教える非常勤講師のこと。したがって一期一会の彼らが再度そこで教える機会は通例ない。あくまで噂のレベルの話だが、Yaleのようにその報酬が他より高いところには、そうそうたるキャスティングが目立つ。しかしそれは実のところ、それだけの人材を回せる各校のdeanとchairmanの政治力と人脈、そして先見の明の見せ所でもある。もちろん有名建築家が即良い講師とは限らないことは過去の学生作品集をみれば明らかでもある。あまり有名でない建築家や講師が数年後大きく成長することもある。選ぶ学生も受動的になんとなく「他と違う」何かを求めるよりも、「目利き」としての勘がいる。
    だから主要ポストの交代によって学校の方針もがらりと変わる。コロンビアで12年deanを勤めたチュミの退官後、後を引き継いだマーク・ウィグリーが1年以上もしばらく「暫定的」deanだったのは、次のdeanにザハやリベスキンドのビッグネームが噂に浮いては消える駆け引きの中で、チュミの築いた学体を引き継ぐ最善策だったのかもしれない。
    多くの人はスタジオに多大な関心を払うけれども、日本のような工学的に細分化された講義と違って、ここではレクチャーやセミナーを通してデザインに取り組むこともスタジオに負けず醍醐味がある。そこにも学校が何に力を入れているのかが現れる。たとえば規定のジャンルにとらわれず横断的な交流が出来る可能性を持つ意味で、MITのメディアラボはその典型とも言える。
    いろいろ問題を抱えながらもアメリカが建築に限らず、先駆的な可能性を持つのは、そうした知的資源の豊富さにある。自分は決して「アメリカ」をもろ手をあげて賞賛するハッピーな性格ではないと思っている。しかしたしかにそれだけ優れた世界的な人材を自国に呼び寄せ(あくまで指標だがコロンビアAADで留学生はトータルの約50%、GSDで約40%といわれる)、何らかの結果を出せる受け皿を用意している場所がほかにどれだけあるか知らない。
    もちろんそれも今、JFケネディの理想的リーダシップとしての象徴的理想は伝統として残される一方で(ペイ設計の立派な記念館も彼の故郷ボストンにある)、近代建築に限って言っても、旧来の啓蒙的な、その左翼的な理念から状況が大きくねじれているのもまた明らかでもある。問題提議することと問題解決する実践とは直線的ではない。その矛盾はRem Koolhaasの言うように、ラジカルになればなるほど、野望がでかくなるほど、それだけ大きなスポンサーを必要としてしまう(2003 Berlin Contents展)—啓蒙主義としてのモダニズムは資本主義下でシュミラクルとしてその矛盾を暴露する。彼の話す根底は彼の処女作Delirious New Yorkから一貫している。
    ここでは日本に行ってみたいという友人も少なくない。日本は魅力を十分に持っている。GSDのスタジオで東京等に出張した学生たちは皆日本のファンになって帰ってくる(我々日本人学生の日頃の善行の賜物でもないです)。彼らが魅了されるのは伝統を模造したクリシェと化したジャポニカというよりも、そうした虚構もリアルもひっくるめて飲み込んで新しいものが生まれる今の状況の生態と効果に一理あるのではないだろうか。ところが中東出身のGSDの友人が入国ビザを拒否されるなど、日本はまだまだ鎖国的な側面がある。ほんのもう少しでもドアを開け、外からのエネルギーを引き込み、自身も外に出て放散できる取り組みを、かの極東の国でもできたなら、もっと面白い状況が生まれると思う。
    (この補足はあくまで補足なのでご返信は特段結構ですよ。)

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