モーテルで2泊目の朝を過ごしてChinati foundationを再度訪れる。ジャッドの旧来の友人、彫刻家オルデンバーグClaes Oldenburg and Coosje van Bruggenの作品「The Monument to the Last Horse」を観るために。事務所のスタッフの女の子が特別に案内してくれるという。彼女は地元テキサスのオースティン 出身で、父親が建築家なのだと言う。自宅は彼女いわく”wired”だったそうなのだけど、そのおかげか彼女の姉妹も建築を大学で勉強し、また自分もこのMarfaに来てアートに囲まれた生活を静かに暮らしているという。ここでは本当にお金の心配をしなくて良いほど、何も使うところがないという。
オルデンバーグの彫刻はこのMarifaの中では唯一、具象的な形をとり、馬の蹄鉄をFRPでスケールアップしている。この彫刻はこの地で最後の馬に捧げられたメモリアルなのだが、その位置と、スケールは手袋のようパーフェクトに敷地に呼応している。ジャッドは自身とは全く異なるスタイルのアーティストの作品も的確に評価できる才能と自由さをもっていたのだと思う。
その後一路サン・アンノトニオへ。約6時間のドライブの3分の2をただただ地平線を眺めながら走る。ハイウェイにようやくたどり着いてもたまに現れるロードサイドの店はガソリンスタンドかファーストフードの店に限られている。その向こうは何もない荒野と、退屈きわまりない低層の建物がたまに横たわっているだけだ。火星に人類が住み着いてもこんな風景が増殖されるのだろうかとふと思う。
でもそこにも人はサボテンのように住み着く。ドライブの休憩をとるために店に寄ればいつものメニューにナチョスといったメキシカンなメニューが付加される。しかしそれを腹に流し込むのはコーラかペプシと決まっている。ファーストフードの食材はたぶん、どこかの大きな配送センターから飛行機で毎日こんな僻地にさえ空輸されているだろう。世界のどこかで、同じ時間にまったく同じものを食べている人が何人いるのだろうか。
翌朝、ジーンズ姿の地元の人が集まるカフェでナチョスを朝食にとる。どこから来たのかと店のおばさんに尋ねられる。ボストンから来たと応えるとドーナツをおまけしてもらう。薄味のコーヒーを飲み干し、Chinati Foundationへ。
事務所は以前のように無造作にアートの本がジャッドのデザインした机に積まれている。以前はなかったChinatiロゴ入りTシャツや帽子が売られている。ジャッドが忌み嫌った美術館みたいだと友人と笑う。しかし居候の猫たちがそこを昼寝のベッドに使っているせいか、今ひとつ売り上げはさえないみたいだ。
Foundationのスタッフに案内してもらう。ここでジャッドの主要な作品として2つの大きな作品がある。一つは2棟の旧大砲格納庫に置かれる100ピースのアルミの作品。もう一つは15ピースのコンクリートボックスの作品で、これは1kmにわたって旧滑走路に沿って設置され、ジャッドの最大の作品となっている。
それらを観て歩き回る体験は、形の意味や内容よりもむしろ、そうした形を認識する知覚の意識そのものが丸裸にされて浮上するかのような強い感覚を呼び起こす。オブジェクトが周囲の空間を強く認識しトレースするための基準線となっているかのように。それは地平線が続くこの場所の「状況」との強い対比の中でいっそう強く力を与えられているかのようだった。

草原の波間に浮かぶかのように見えるコンクリート群は、どのユニットも同じ外形の2.5×2.5×5mで、同じ形のヴォリュームが開たり閉じたり、様々なヴァリエーションがコマ送りに展開される。そうしたリズムを持つ組み合わせが、シンプルなヴァリエ−ションのなかにさまざまな視覚的効果をもたらし、空間を巧みにコントロールしている。
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100 untitled works in mill (旧大砲格納庫)はアルマイト処理したアルミの厚板を組み合わせてデザインのすべて異なる100ピースの作品のシェルターとして使われている。ここでは建物の側壁をガラスの大開口に改造しアルミの十字形のサッシが連続する。この窓の割付に合わせて絶妙なスケール感とプロポーションをもつアルミのオブジェクトがハードなコンクリートの床に並列される。自然光を受けてあるものは燦然と輝き、あるものは風景に完全に融け合い反射し、またあるものは鏡のよう浮かび上がる。そして夕刻、黄金色の陽の光を受けると、作品全体が炎のように輝く。
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アリーナと呼ばる建物は、かつては運動場、馬術場として使われ、ジャッドは床下に基礎をなしていたコンクリートのストライプをそのまま活かし、小石を敷き詰め、自身のデザインした家具をアレンジして大きなダイニングホールにしている。既存の空間に挿入したかのような白い箱状の空間と、その周囲に残されて露出した既存の構造体との対比がパーフェクトな均衡を保っている。壁はそうしたバランスを損ねないよう、十字型正方形の回転ドアが注意深い位置に取り付けられ、他の窓はその痕跡として窪みだけを残して壁が間延びしないようにしている。
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ここにはジャッドの作品だけでなく、カール・アンドレやイリヤ・カバコフなどの作家の作品が旧兵舎の中にインスタレーションされている。なかでも、ダン・フレヴィンの蛍光灯を使った光のインスタレーションは、6つの建物を使った大規模な展示で、光と空間のリズムが美しい。展示室の窓からは外部の自然光が入り込み、時間の経過とともに蛍光灯の光の強さも微妙に変化していく様子に関心をもった。
クライマックスはジャッドのアトリエ兼自邸のマンサーナ・デ・チナティへ。マンサーナとは地元の言葉で正方形という意味で、具体的にはこの敷地の形のことをいう。Marfaの中心街の道路に囲まれた1ブロックを占める大きな敷地で、かつては隣接する鉄道から降ろされた資材を置くヤードと軍の管理事務所として使われていた。彼は建物の周囲を注意深く伝統的な日干しレンガで囲んでコートヤードハウスとし、旧格納庫にはジャッドの作品が注意深く置かれ、さらに彼と彼の家族のための生活空間が建物内外に広々と結ばれている。
ジャッドはアートをよりよく理解するためには、アートとともに生活しなければいけないと考えていた。すなわちアートと生活を分けるのではなく統合したいと考えた。ここにはアートを設置した空間には、必ずベッドやベンチ、テーブルがあり、日常生活にアートが組み込まれている。家具は自身がデザインしたものもあればアンティークの物もあり、それらが作品を観るのに最高の位置に置かれている。彼の図書室にはおそらく数千冊以上におよぶ本が本棚に並び、世界中の美術や建築への並々ならぬ知識が伺える。建築の蔵書としては日本を含めた各国の伝統建築の他に近代建築の蔵書がスペースを占める。そして机や棚の上には大小さまざまな世界各地からジャッドが集めた伝統工芸品や貝殻といった自然の造形が置かる。こうした生活からは彼がミニマルな形態にかたよった人物では全くないことは明らかで、彼の作品とその空間とは、非常に広範な体験と知識から集約された小宇宙だったといえるのかもしれない。
実は彼はここにさらに増築を考えていた。中庭にはプールとアトリエが計画されていたが、急逝したことで未完のままの姿をとどめている。しかしそれがかえってこの建物の生命感をとどめている。薄明るい書斎には彼の椅子がたった一つの窓ごしにジャッドの愛した中庭の木をひっそりと眺めている。
(残念ながらここは撮影禁止とのことでした。)