マンハッタンには二つの大きなバスターミナルがある。
ひとつはマンハッタンのど真ん中42nd streetと8th avenueの交差点に面するPort Authority(公営)のバスターミナル・ビル(1950年完成)。その周囲は高層ビルが林立している。かつてこの地区は、怪しげなセックスショップが並んでネオンを光らせていた。ブロードウェイの舞台に上がることも出来ない女たちは、どんどん西側のストリートに流されていき、その場末が8th streetというわけだと酔いどれから聞いたことがある。
しかし今ではここにも巨大資本による再開発が次々と注ぎこまれている。
ウェスティン・ホテルがテーマパークのようなケバいポーズを空に向かってぶちあげているかとおもえば、レンゾ・ピアノがアルミの軽やかなルーバー・スクリーンでくるんだガラスの高層ビル(
NY Times本社)を建設中。こうしたビルがグリッドの街割のなかでそれぞれの独自性を競演している(
map参照)。
このターミナル・ビルは建築的にもちょっと知られた存在だ。1,2階の商用スペースの上に、巨大な鉄骨メガストラクチャーが上階2層のバス車庫を空中に持ち上げている。巨大な鉄骨トラスがそのまま42nd streetに露出されて、高層ビルのスケールに拮抗しようと構造的な迫力を見せている。メガストラクチャーとすることで、建物内部でバスの通行に邪魔な構造体を減らし、内部空間の効率化とフレキシビリティーを確保しようとしたのだろう。
ここから
greyhoundが24時間オープンしてアメリカ各地に長距離バスを走らせている。一日の利用者約20万人。館内にはファーストフード店やカフェが置かれ、バスを待つ人が退屈そうに時間をやりすごしている。
今でも深夜になれば、どこかバスターミナルはそんな夢から醒めた孤独な人がたむろするのが似合う、最後の場所でもある。
もうひとつはチャイナタウンにある。でもこちらはおよそ、ターミナル・ビルの態をなしていない。
運賃ではどこにも負けない安さで本家greyhoundをしのぐ勢いの”China bus”。それは、チャイナタウンを出入りするバス会社の総称である。
たとえば
あるバス会社はNY-Boston間を、かつては片道たったの10ドルでマイクロバスを走らせていたが、一方その当時同じ路線を走るgreyhoundは30ドル。口コミでChina busの人気は上がり、今では15ドルでgreyhoundよりも乗り心地のいい大型バスを1時間毎に制限速度ぎりぎり(超過?)で走らせている。そしてついに競争に耐えかねたgreyhoundも15ドルの値下げに踏み切った。
だが始めてChina busに乗ろうとする人は、それがいったいどこから出発するのか見当がつかず、道に迷うこともあるだろう。どういうわけかそれは「地球の歩き方」にも紹介されていないし、バスターミナルなどという建物はどこにもない。
でもためしにGoogleで“New York” ,”China bus”とキーボードをヒットしてみるといい。するとチャイナタウン発の中国人系バス会社のウェブサイトがずらりと出てくる。
ニューヨークのチャイナタウンからアメリカ各地のチャイナタウンへ。それらバスはすべて、あるストリート一帯から出ている。 88 east broad wayがmanhattan bridgeをくぐる、その橋のたもと一帯がそこだ。
朝7時ごろから、深夜まで毎時間往来するバスはここに集まる。場所はチャイナタウンのほぼ中央部。そこでマンハッタン特有の整然としたグリッドの街区割がちょうどこのあたりで終わり、その南より先は急に別の角度に振れたグリッドの街割りにかわる。この付近はそのヒンジのような位置にあり、いびつな非整形の街割になっている。そのため、橋のたもとはヘタ地となり、車の通過交通がほとんどなく、道幅もわりに広い。だからバスを泊めるには好都合な場所なのだ(
map参照)。
ずらりと各方面に向かうバスが並ぶこの歩道付近をあるけば、中国人のおばちゃんに中国語(広東語?)または英語で「どこにいくのかい?」とせわしない客引きに遇うことはまちがいない。ワシントンやフィラデルフィアからニューヨークにやってきた乗客はここでいったんバスを降りて歩道を進み、ボストンやバーモンド州行きのバスに乗り換えていくのである。道路にはそこがバス停であるという標識も看板もいっさいないが、バスのボディには大きく行き先が書かれているし、客引きや道行く人に尋ねればよいのだから、不便と感じることはない。こうして各都市のチャイナタウンの間でネットワークが形成されている。
せわしないのはバスの客引きだけではない。ここはチャイナタウンの大きな青空市場のひとつでもある。バスの脇には野菜や食品を積み重ねた露天商が所狭しと道を占拠し、買い物客が商品を見定める。そこはさらにさまざまなショッピング街に接続されている。このエリアではさながらアメーバのように、はっきりした切断面もなくずるずると空間を連続させた感覚を覚える。
過密さはいよいよピークになると、時にはバスの停車を阻む露天商のワゴンに、バスの運転手が激しいクラクションと罵声を浴びせている。
野菜の背後にバスが並ぶその異様な光景を初めて見たとき、ここは本当にニューヨークかと思った。バンコクにも鉄道と市場が混在してはいたが、鉄道は通過するのみでそこに停車することはなかった。しかしここでは互いが入り乱れるのである。
しかし一見無関係な事物が寄せ集まるカオスに見えるものにも、別次元のみえざる秩序が機能しているように、ここにも緩やかな秩序が存在している。たとえば各方面のバスの停車位置は暗黙のうちに決まっていて、ほかの車両はそのバスの停車を阻んではならない。
これはたぶん、警察のような公的機関よりむしろ、チャイナタウンの自治的な掟によって決定されているだろう。それがこのストリートを物、人がはげしく入れ替わるターミナルたらしめている。しかも乗客の多くはウェブサイトで切符を購入しているから、発券所もとくに必要ない。現場で買う乗客のために、簡易にバス停正面の小さな売店で済ますことができる。
ドライバーも制服などというものはなく、道を歩く通行人となんら変わりない人たちである。彼らは運転中、携帯電話を使ってたえまなく道路情報を交換し、取り締まりや渋滞などの情報を随時更新している。その情報をもとに、時には正規ルートの高速道路を避けて裏道を走るという芸当をやってのけるのである。こうしてターミナル・ビルという建築物なしに、相当数の乗客がこの道路の一角でさばかれているのである。
マンハッタンのチャイナタウンは現在人口70,000とも150,000人とも言われる。19世紀中頃、アメリカ西海岸にアメリカ横断鉄道建設の労務などを当てにして中国から移住してきた。鉄道が完成すると、こんどは彼らはそれに乗って、よりよい生活を求めて東海岸へ移り、ニューヨークでは今のチャイナタウンのあるマンハッタン東南部に集中して移り住んできたといわれる。もともとここはスラムの一角でもあり、安い家賃のアパートの2部屋に5-15人程度の男たちが共同生活を送るのが典型だったらしい。アメリカ各地で激しい人種差別に遭遇した彼らは、衣食住そして街の自治まですべて自分たちでまかなうことを好み、それが今のチャイナタウンの形成につながっていく。そして1880年には200とも1100人とも言われる中国人の街区に変貌していったという。(Chinese American の人口動態はたとえば
ここ、そしてNYC全体の人口動態は
ここで対比できる)
いまではチャイナタウンはマンハッタンだけでなく、郊外クィーンズのフラッシングにもエンクレーヴ(飛び地)を形成している。その一方マンハッタンのチャイナタウンは戦後、主に台湾や香港といった"中国”からの移民を受け入れて拡大しつづける一方で、フィリピンやヴェトナム、ビルマなどの移民も混在しており、出自も多様化に向かっている。またさらに3世4世の中国系アメリカ人がさまざまな民族と混合し、社会層にいっそう浸透していくことでチャイナタウン、そして互いのネットワークも拡大しつづけながら変化しているのが実情だろう。
こうした自治こそが、チャイナバスという独自のネットワークやマーケットとターミナルの重ね合わせという場所を生み出してきた。それが彼らのアイデンティティの変化とともに今後どう変化していくのか、興味深い問題だろう。
ただ気になるのは、どこにバスの倉庫があるのかということだ。Amazon.comが店舗空間をバーチャル化してもなお巨大な倉庫を抱えるように、最終的にはストックヤードこそが屋根・壁のついたシェルターを必要としているのかもしれない。
まだニューヨークですか?
ゲーリーがSOUTH CHELSEAにコンドミニアムをやってます。ノマドックがあったところから2ブロック北あたりです。
時間があったら見られては?